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神谷宗幣 (かみやソウヘイ)
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新党「参政党」の結党

最近の動向, 最近の動向 |

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令和2年4月11日に「参政党」の結党を宣言し、党員募集をス タートしました。

参政党ホームページ 

ここに至るまでの私の想いを、少し時系列で書いてみたいと思います。

2000年 留学先のカナダで外国の青年らから「お前は日本人として日本をどうしていきたいんだ」と問われ、自分が日本人であるという認識と若者が国のことなど一切考えていない日本の現状への危機感をもつ。

2002年 日本に帰国後、日本の教育から変えないといけないと考えるようになり、弁護士から政治の世界へという計画を立てるも
父の会社の倒産や婚約破棄などがあり、うつ状態になる。この時は自分のことしか考えられなかった。

2004年 友人、親戚、同僚の助けで新設された法科大学院に入学。司法試験の勉強をするも法曹が本当に自分に向いているのかと自問自答し、政治家の下でインターンシップに参加(2006年)。

2007年 思い余って無謀にも、住んでいた吹田市の市議会議員選挙に無所属で立候補。初当選。「吹田から教育で若者の意識改革を」が公約。
自分の名前が沖田総司から来ていることから、無所属会派「吹田新選会」を設立。

2008年 リベラルな吹田市議会で孤立。意気消沈していたところ林英臣先生の政経塾に入り、松下幸之助翁の哲学や東洋思想を学び、自分の教育への想いが間違っていなかったことを確信。

2009年 当時の橋下知事と掛け合い、彼を代表に「大阪の教育維新を市町村から始める会」を結成。府下の地方議員と共に教育政策の実施に取り組む。

2010年 橋下知事から「ONE大阪」と「地域政党」の相談を受けるが、企画が中途半端であったため、全国政党の結成の提案をするも「そんな大きなことは考えていない」と言われたため、その後できる「大阪維新の会」には参画せず、自分達で全国を回り「龍馬プロジェクト全国会」を結成する。

2011年 吹田市から教育改革をしようと、吹田市長選挙に仲間を立てて挑むも、仁義なく「大阪維新の会」から刺客を立てられ仲間が落選する。

2012年 仲間が落選し自分だけ議員を続けることに納得ができなかったため、無所属で衆議院選挙に出ることを決意。
解散が決まった後、自民党から公認を受け、落下傘で東大阪市から衆議院選挙に出て落選。

2013年 日本のマスメディアや教育のいびつさと情報発信の大切さを痛感したので、YouTubeで【CGS】という番組をスタートする。
同じくYouTuberだったKAZUYA君と知り合い、その思いや発信力に可能性を感じて、国内外を共に回って学びを深める。

2015年 2012年の選挙で選挙区を変えていたため、吹田の応援者の想いを裏切るカタチになっていたので、急遽吹田市から府議会議員選挙に無所属で立候補。落選。私の政策や想いを訴えても現状のマジョリティーには届かないことを再確認したので、組織をつくってそのブランドに候補者を乗せていくしか改革の道がないと方向性を決定。
KAZUYA君と47都道府県のキャラバンをスタートし、我々の番組を見てくれている皆さんの想いやニーズを集めることを始める。

2018年 ワンストップで政治、歴史、経済、教育、食、スピリチュアルなどの情報を集中的に学んでもらえば、日本人の意識改革ができると仮定し、ネットとリアルを組み合わせた「イシキカイカク大学」を設立する。思いを共有する仲間を集めることも目標に、毎月のように国内外の研修を行い、政党や学校づくりに協力してもらえる仲間を集める。

2019年 「政党DIY」をつくり政党づくりをスタートすることを宣言。コンセプトをまとめつつ、主体となってやってもらえるメンバーを集め、政党の運営を方法を模索する。

2020年 「参政党」結党。

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結党に至るまでの20年の歩みを簡単にまとめました。

この2冊で大体のことはわかってもらえます

 

2012年までの活動の詳細や思いはこちらの本にまとめました。

「大和魂に火をつけよう」

また、CGSやイシキカイカク大学での学びはこちらにまとめています。

「子供たちに伝えたい本当の日本」

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議員になってからカウントしても13年です。

いろいろなことをやってきたので、「神谷は何がしたいかわからない」とずっと言われてきましたが、
私は「日本人の意識を変えていき、世界を大きな調和に導く日本を作っていきたい」のです。

その手段が動画の配信であり、学び場の提供であり、政党の運営なんです。

「政党DIY」の動画で何度も言っていますが、
政治家や官僚を批判しても何も変わりません。

その背景にある仕組みを理解して、私たちが行動を変えていくしかない。

子供や若者への教育を変えていくしかないんです。

今のような現状になったのは、それを放置してきた我々大人の責任です。

私は13年政治に関わってきて、人前で偉そうなことを言って、何も現状を変えられていない自分に責任を感じています。

だから決して心からやりたかったわけではないですが、

お手本にしている吉田松陰先生の言葉をかみしめて仲間と結党しました。
かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ大和魂

参政党における私の役割は、事務局長です。

党の運営の事務方の責任者をやります。

変なことにお金が使われないように、

党をかき乱す輩が入ってこないように、

選挙に出てくれる人が言えないことをはっきり言えるように、

ゲートキーパーをやるのが私の役割だと思っています。

新選組なら土方歳三のポジションですね。
今後、多くの仲間をつくっていき、看板になってくれる近藤勇を見つけねばなりません。
多くの念い(おもい)が集まれば、きっと人物が名乗りをあげてくれると信じています。

私はそういう人のために火だるまになってこの党を守る覚悟です。

そして私がいなくなっても回る組織になったら、それまで無事なら、私は教育の道へ行くつもりです。
私は人にものを教えるのが天職だと思います。
しかし、なぜか間違えて政治の方に来てしまいました。
知れば知るほど、国際社会も政府もマスメディアもうんざりします。

できたら関わりたくない。

しかし、わかっていて見過ごしてはいけない。

少なくとも善良な国民を守れるチームは作りたい。

それが自分の家族や子供を守ることに繋がると信じています。
こんな思いでの結党です。

よほどのことがない限り、私はもう立候補はしません。

議員になると党の運営ができないからです。

それに私は口も悪いし、日本人が好む聖人君子でもないですから(笑)

万が一立候補するとしたら次の条件がそろった時です。

1.国民の意識が変わって、本当の悪党に政治をやってもらわねばという世論ができる

2.私の立候補が参政党にものすごく役立つ

3.私の代わりになる事務局長が現れる  

 

これは私が生きている間には、ほとんどあり得ないことだと思うので、立候補はしないと言っています。
反対勢力は「神谷は逃げている」とかいずれ批判してくるでしょう。

しかし、ゲートキーパーが矢面なんです。仲間からも矢は飛んできます。

そこに立つ覚悟を決めるのに数年かかったのです。

いろんな組織を運営してきたのもそのためです。

たくさんの人に騙されてきたのも意味があったのでしょう。

私は一番しんどいところに陣取り、そこを死守する覚悟ですので、是非このブログを読んでくださる方だけでもその思いを知っておいてください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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