日々の活動やニュースに対する考え、視察の報告などをブログにまとめています。

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神谷宗幣 (かみやソウヘイ)

ブログの記事一覧

日本は当然、中国を勝者と認めたことはない

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本音が出た感じですね。

国民に刷り込んでます。

日本は中国共産党や韓国に負けたことはないんですがね(♯`∧´)

大東亜戦争が終わった時には、

中華人民共和国も韓国も存在すらしてないだろうが!と日本人は教えてあげねばなりません。

そして彼らが勝ったはずの日本から経済援助を受けていた国はどこかも。

日本を強く、そして優しい国にして、
アジアの秩序を守らねば!

日本しかいないです。
ミャンマーに来て再認識しています。

日本人の若者の大和魂に火をつけないと。

悔しいですね。
不屈の闘志を燃やさねば。

日本に挑戦するのは絶望的だと思ってもらわねば、日本の平和が守れません。

「日本は中国を真の勝者と認めたことがない」 中国紙が社説で不満、アジア最強を自賛

2014.9.3 12:58 [日中関係]

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3日付の中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報は同日の抗日戦争勝利記念日に合わせ「日本は中国を真の勝者と認めたことがない」と強い不満を表明する社説を掲載した。

同紙は「(戦後の)日本は米国や(当時の)ソ連に従ったのに中国や韓国には従わない」と指摘。戦争に絡む歴史問題で「不断に中韓両国に挑戦」しており、「傲慢だ」といら立ちを見せた。

その上で「戦後69年を経て中日両国の総合国力は歴史的に逆転し、中国はアジア最強の国になった」と自賛。一方、技術分野などで日本が優勢な面もあるとして、中国が国力で日本を圧倒し「中国に挑戦するのは絶望的だと日本に確信させる」必要性を指摘した。(共同)

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ミャンマー訪問をほぼ終えて

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8月27日から始まった遠征も折り返して後半に。

長崎、福岡、対馬、広島と回って、

大阪に荷物をとりにかえり、

タイを経由して今回のミャンマーへ。

明日の夜には、日本に戻り東京へいきます!

日本での研修では、やはり対馬の視察が勉強になりましたが、

海外は海外で学びが多い。

今日はミャンマーのヤンゴン最大手の日本語学校を何校か周り、

ヤンゴン外国語大学の先生とも懇談させていただきました。

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私たちの思いもかなり伝わったはずなので、恐らく今回の訪問をきっかけに、

ミャンマーのハングリー精神ある若者が日本に来てくれるようになるでしょう。

3月にいったベトナムやカンボジアの若者は10月から日本に来ます。

6月にいったタイ、スリランカ、インドの若者も来年には何人か日本に来てくれるでしょう。

中国や韓国の若者を大量に受け入れるのにブレーキをかけ、バランスよく東南アジア、南アジアの若者に日本に来てもらう受け皿をつくっています。

お金持ちの若者ではダメです。

苦学して親や国のために頑張ろうという若者を受け入れ、

日本の若者に喝をいれてもらいたいと思っています。

私がかつてそうしてもらったように!

日本の若者はなかなか海外に行かなくなった。

ならばハングリーで根性をもったよい若者に日本に来てもらい、日本の若者と交流させます。

そこで刺激を与えて日本人の若者を覚醒させる。
ヤバイぞと思わせる。
世界の中の日本の立場を思い知らせる。

私なりに考えていろいろやってます。

形になるのは時間がかかりますが、
将来、神谷は未来をみて動いていたとわかってもらえるよう今は種を巻いていきます。

今回のミャンマー訪問も成功でした。

しかし、それは今年5月にJCのGTSがあり、その際に打ち合わせをし、ネットワークを作っていたからです。

JCに感謝。

なかなか短期間海外に来て、ピンポイントで仕事をするのは大変ですが、
どの国も一度は来て、人と信頼関係をつくってあるからできることですし、

間に入って下さる方の協力は絶対に欠かせません。

今回も皆さんに助けて頂きました。

このお礼はお金ではなく、日本とそれぞれの国の友好を形にしていくことでお返しします。

今、10月のヨーロッパ視察を企画していますが、ヨーロッパはまたアジアと違い手続きが難しい。

今回は駄目かもしれませんが、次回に繋がるようにやり取りします。

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ちなみに今日の夜は16~26歳までのミャンマーの若者と意見交換し、
ミャンマーの国情や若者意識がつかめました。

こちらも感謝しています。

話があちこちいきましたf^_^;

日本の課題は日本だけを見ていても解決しないということから、日本の地方と海外を同時にみています。

また、日本の浮上の為には教育が絶対ポイントになります。

また、何をするにも人との繋がりと信頼を大切にしたいと考えており、それは世界に通用する真理だと信じています。

抽象的ですがそんなことをミャンマー訪問のまとめにしたいと思いました。

閑話休題

ミャンマーでは天然のうなぎがとれますが、現地の方が食べないので、日本人が食べています。

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やはり天然のうなぎも美味しい。

皆さんもヤンゴンにきたらご賞味ください。

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先輩方の苦労をしのぶ

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私が政治の世界に入って8年。

この8年でだいぶ言論空間も変わりましたが、

それでもまだおかしい。

先輩方の苦労の上に今があります。

それを感じる記事でした。

感謝

【朝日の大罪】
亡き夫が理想とした「誇り高い言論の場」を 自民党・中川郁子衆院議員

2014.09.03 ZAKZAK

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中川昭一氏は「日本が危ない」と警鐘を鳴らし続けていた

 朝日新聞による慰安婦問題の大誤報について、「保守派の旗手」と呼ばれ、生前、慰安婦報道に疑義を唱えていた中川昭一元財務相兼金融担当相の夫人、自民党の中川郁子衆院議員が激白した。

                    ◇

 朝日新聞が報じた虚偽報道問題を読んで、まず思い出したのは、亡夫・昭一が、2008年11月号の月刊『正論』に寄稿した「マスコミの潜在的良心に対するわが期待」と題する一文です。

 同論考で、昭一は「マスコミが自ら国家発展の一翼を担おうという気概をもち、民主主義国家にふさわしい、自由で闊達(かったつ)で、誇り高い言論の場を創り出してくれるなら、それだけで日本は、より高く飛躍することでしょう」と述べています。

 すなわち、政治家とマスコミが正義に基づいて行動し、正々堂々とわたりあってこそ、健全な民主主義が形成されると昭一は考えていました。そういう社会が実現することを、切に願っていたのです。

 ところが、不幸なことに、現実はそうではありませんでした。特に、これまでの慰安婦報道については、根拠が不十分にもかかわらず報じる朝日に、昭一は大変な危惧を抱いていました。そうした危機感が「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成し、『歴史教科書への疑問』(展伝社)を記すことに繋がったのです。

 いま昭一が生きていたら、今回の朝日の記事についてどう思ったのかを考えました。

 「朝日もようやく間違いに気付いたか」とほほ笑んだうえで、さらに「訂正するべきものはきちんと訂正し、ともに『誇り高い言論の場』を創っていこう」と呼びかけたのではないかと思います。

 このような遺志を継いで代議士となった私としても、朝日には慰安婦について虚偽の内容を世界に広めてしまったことを、きちんと責任を果たしてもらいたいと願っています。

 そのためには英語のみならず、中国語や朝鮮語などでも、これまでの自社の報道が間違っていたことを示し、日本と日本人が不当に着せられてきた汚名をそそいでもらう必要があると思います。

 そうした姿勢を見せてこそ、朝日は真の報道機関となることができ、やがては 生前の昭一が理想とした「民主主義国家にふさわしい、自由で闊達で誇り高い言論の場」が誕生するのではないでしょうか。

 今回の慰安婦記事についての訂正記事は、そのための「初めの第一歩」かもしれません。昭一が描いた理想が実現するまでの道のりはまだまだ遠いと思いますが、少しずつでも進んでいけるなら評価したい。朝日にはもっと頑張ってほしい。

 私としても、昭一が求めた「日本のより高い飛躍」が実現できるよう、政治家としていっそう努力を続けていく所存です。そのためにも朝日がこれからどのように対応していくのか、特に注視していきたいです。 (取材・構成 安積明子)

■なかがわ・ゆうこ 1958生まれ。81年、聖心女子大学卒業後、三菱商事入社。82年、中川昭一氏と結婚し、夫の選挙活動を支えるため、北海道帯広市に転居。2007年、NPO法人「ラ・テール」代表に就任する。昭一氏はその間、農水相や経産相、財務相、自民党政調会長などを歴任。09年に昭一氏が急死した後、郁子氏は北海道11区の後継支部長に公募し、選出される。12年衆院選で初当選する。現在、自民党総務会総務、女性局次長などを務める。

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土方歳三に関する資料発見

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私の尊敬する侍のひとり土方歳三。

三年前まで、私は土方歳三のようなポジションでグループをまとめる人になりたいと考えていました。

そんな彼の人柄がわかる資料が一つみつかったそうです。

組織運営はいつの時代も大変だ。

新撰組の土方歳三、宿所拡大や資金要求 西本願寺で記録発見

2014/9/2 21:46 日経新聞

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 浄土真宗本願寺派(西本願寺、本山・京都市)は2日、江戸時代末期に西本願寺に駐屯した新撰組の副長・土方歳三が組を代表して、寺に活動資金500両(現在の約2億円に相当)を無心したり、宿舎スペースの拡大を要求したりしていたことを示す記録を発見したと発表した。

猛暑に苦しんだ新選組の土方歳三が、西本願寺に阿弥陀堂を貸すよう求めていたことを記した寺側の記録(2日、京都市下京区)=共同

 本願寺史料研究所が保管する記録「諸日記」などから判明した。新撰組が西本願寺に駐屯したのは1865年3月10日から67年6月15日(いずれも旧暦)まで。

 記録によると、西本願寺に駐屯し、まもなく資金500両の拝借を申し出た。寺が200両、残りを出入りの商人らで分担し、用立てた。

 境内北にあった北集会所(きたしゅうえしょ)に隊士約200人が寝泊まりしていたが、65年6月には「手狭なうえ、炎暑のあまり体調を崩すものが続出し、苦情を抑えきれないので、阿弥陀堂の一角50畳ほどをお借りしたい」と求めた。

 寺は聖域でもある阿弥陀堂は貸せないため、代わりに北集会所の板敷きに畳を敷き、南北の壁を撤去するなどして応えた。

 同研究所の大喜直彦上級研究員は「幕府の方針変換に翻弄され、新撰組分裂の危機に追い込まれながら、資金繰りや境遇改善に腐心する土方の現場指揮官としての苦悩がうかがえる」と話す。

産経新聞東京版2014.9.3

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ミャンマーにて。「神谷なら何かやってくれそうだ!」

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9月2日から3日間、ミャンマーに来ています。

5月に一度来ているので、2回目の訪問になります。

訪問の目的は、大げさになりますが、日本の国益にかなうネットワークの構築のためです。

これは今年、台湾、ベトナム、カンボジア、タイ、スリランカ、インド、そして今月後半にフィリピンを回るのに共通する大きな目的でもあります。

中国や韓国が入っていないのがポイントです。

また、詳しくはなんとか年内にかきあげたいと考えている書籍に書きます。

落選し、自由に動ける今だからこそ、次にバッジをつけた時に活きるネットワークを国内外に広げる活動をしています。

私の活動は他の人と違うので、
少し批判もあります。

選挙のための活動が少ないからです。
皆さん、選挙に通ることが大切だとおっしゃるし、私もそれはわかります。

しかし、議員になっても何もできないこともあります。
また、議員で有り続けることが、目的になってしまっている人もたくさんいるように感じます。

私は、バッジをつける以上、
「神谷なら何かやってくれそうだ!」と思って頂ける力を身につけたい。

その力とは、人のつながりと信頼だと考えています。

だから、全国をまわり、海外を飛び回っています。

議員になったらこんなに自由には動けません。だから今できることを全力でやる!これが今の私の行動理念です。

バランスが悪くて、
選挙には弱いかもしれない。

しかし、選挙に強いが、思いも力もない政治家は、これからの日本にはいらないと思っています。

私が有権者として考えて。

私が目指すのは、今の日本にあまりモデルない、新しいタイプの政治家。

世界に出てもやっていける政治家です。

そんなことを考えながらミャンマーで活動しています。

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昨日は夕方から日本の友人と合流し、
ミャンマーで日本語を教えてくれている団体をまわりました!

夜はミャンマーで経営をする同世代の日本人の方々と意見交換。

その国のこれからを考えるのには、そこで働く日本人経営者の意見を聞くのが一番だというのが、私の経験則ですf^_^;

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アポの空いた時間には、アウンサン将軍が暮らした家や寺院の見学にいきました。

海外ではとにかく予定を詰めまくって動きます。

私の組むスケジュールが、あまりにハードでだんだん龍馬プロジェクトメンバーが、一緒に行ってくれなくなったという噂もちらほら(´Д` )

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