神谷ソウヘイのブログページです

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神谷宗幣 (かみやソウヘイ)

最近の動向

自民党 青年局 研修会

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今日は台北から羽田に飛んで、荷物だけおいて自民党青年局の研修会に参加。
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遅刻してしまい、研修は途中からの参加でしたが、震災復興の現状のお話を2コマきけました。

都知事選の話もあり、代議士の皆さん様々な思いで活動されていることがよくわかりました。
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会の最後に島袋沖縄県議から、名護市長選挙の末松候補への支援依頼がありました。

辺野古の問題は、国防の行く末を左右する大切なテーマ。

末松候補にはなんとしても勝って頂きたいです。

会の後、松本青年局長とお話しました。
小泉氏の後でご苦労もあると思いますが、誠実な方なので、協力していきたいと思います。
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懇親会には、中泉参議、熊谷参議、滝波参議、穴見代議士もこられていました。

皆さんそれぞれ違う場面でお知り合いですが、国会議員になられて忙しいそうにされています。
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久しぶりにお会いできた方、いつものメンバー、皆さんといろいろ意見交換できました。

懇親会の締めは、大阪の田中学貝塚市議が!

全国に通じるムードメーカーですね。

生粋の大阪人はやはりパワーがあるf^_^;)


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【拡散希望】 共産党のプロパガンダ

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中国共産党の思惑がよくわかる記事だと思います。

我々からすれば、非常に腹立たしい記事ですが、

米国にはこうした言論にのる人もいることを考慮せねばなりません。


一方で我々が「日本を取り戻す」と頑張れば頑張るほど、こうした共産党の策にはまることにもなりかねません。


日本はアメリカに管理されている。

残念ながら、国際社会の中の認識はそうなんでしょう。

日本はプレーヤーになれてないんですね。


誤解されるので、あえて書きますが、

だから諦めようということではありません。

現実をしっかり認識し、
長期の計画で「取り戻そう」というのが私の考えです。

だから教育が大事だし、
国民みんなが考えることが必要なのです。

世界をみて、思考を深めましょう。



中国共産党機関紙が「日本鬼子」と対日差別用語掲載 米中連携を要求

2014.1.16 16:15 共同通信

 16日付の中国共産党機関紙、人民日報海外版は、「日本は米国の資産か重荷か」と題した論評を1面に掲載した。「第2次大戦の戦勝国」として「日本が軍国主義の道に戻ることを防ぐため」に米中が提携するよう呼び掛けた。

 論評は、中米両国は「盟友」として「日本鬼子」を打倒したと、日本人への差別用語をそのまま掲載。安倍晋三首相の靖国神社参拝などへの強い非難を米国が避けているとして不満を表明した。

 その上で、日本を「仮釈放された犯人」と断定。「日本が誠実に罪を悔い改めれば人となる機会を与えてやる」が、「そうでなければ仮釈放の時間は無限だ」と決め付けた。(共同)


米国にとって日本は「財産」か「負担」か

 2014年01月16日13:32
「人民網日本語版」

 時代の潮流に逆行する行動により日本はすでに国際的に四面楚歌に陥っている。日本は国際社会の信頼と尊敬を得ることは難しく、大したことはできない。このような日本は米国にとって一体「財産」なのか、それとも「負担」なのか。(文:思楚・国際問題専門家。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)

 米国が特別にあつらえた「平和憲法」によって、日本は気が滅入るような「平和的発展」を数十年間余儀なくされた。孫悟空を懲らしめるための呪文のような、この制約がひとたび取り払われれば、安倍が「取り戻そう」としている「強い日本」がどのようなものになるのか、米国には確信があるのだろうか?

 もし靖国神社遊就館の解説にあるように太平洋戦争が日本の「自衛戦争」だったのなら、今日の米軍の日本駐留、アジア太平洋におけるプレゼンスは不法ではないのか?米国は日本から「追放令」を下される日を待っているのか?

 日本は米日安保条約を金額未記入の小切手と見なし、他国を倒すために米国を利用できると考えている。もし日本が近隣国との領有権争いで引き続き勝手なまねをし、もめ事を引き起こすのなら、米国は「いい鴨」になるつもりなのか?

日本が罪を悔いない犯罪者のように完全武装でコミュニティーに戻ってくるのなら、隣近所は最悪の事態を想定して、狼を叩く棒を用意するほかない。もし日本が地域の軍拡競争、安保競争を引き起こすのなら、米国にとって何のメリットがあるのか?

 米国の対日政策の基礎は日本をしっかり管理できるという自信だ。安倍が過ちを押し通して非を悟らず、徹底的に突き進む「トラブルメーカー」であるのは明らかだ。それでもまだ米国は日本の平和勢力が安倍を牽制すること、日本の民主体制が「自らの行き過ぎを正す」ことを期待できるのか?

 つまるところ中米は共に第2次大戦の戦勝国であり、日本がかつての軍国主義の道を再び歩むことを防止する点において重要な利益を共有し、一緒にできる事が多くあるのだ。中米両大国はこの問題について歩調を合わせる必要がある。今後日本は何をしてよく、何をしてはならないのか。どの程度まで「普通の国」になってよいのか。日本の行動を制限する「越えてはならない一線」をどこに設定するのか。中米は意思疎通を強化し、暗黙の了解を形成し、行動面で協調することができる。

 もちろん、もし米国が日本を管理したくない、または管理できないとしても問題ない。今日の世界は甲午戦争(日清戦争)の時代ではとうになくなっている。中国と、平和を愛し正義を主張する世界の他の国々と人々には、日本軍国主義という「悪霊」を抑え込む自信と能力が完全にある。(編集NA)


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台湾最後の事件に涙

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台湾最後の夜は、会食のあと夜市にいき、

その後、深夜まで台湾在住の友人と龍馬プロジェクトの打ち合わせ。




事件はここから。

部屋に戻り、なんと名刺入れを無くしたことに気づく((((;゚Д゚)))))))

深夜一時。

タクシーを飛ばして、夕食会場のホテルに!

名刺入れを忘れていないかと聞くと、、

台湾人スタッフの方々が、ゴミ箱までひっくり返して、皆さんで探して下さいました。

結局みつかりませんでしたが、

親身になって一緒に探してくださったことに本当に感動しました。

せっかく交換した名刺をなくしたことは悲しかったけれど、

台湾の方の人情に触れて、感動を頂きました。

台湾はいいところです。





この話にはオチがあります。

深夜2時。

このブログを書いていたら、、

廊下で日本人の声が、、

飲みに出ていた他のメンバーがホテルにかえってきたので、

声をかけにいくと、、、

酔っ払ったメンバーが私の名刺入れをポケットに入れていました(-_-#)

殺意を覚えた一瞬でしたが(笑)


結果オーライ。


これで心置きなく日本に帰れます。



五日間の充実した時間を皆さんありがとうございました!




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台湾研修 五日目 研修と懇談

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台湾研修最後の締めくくり。

夕方からは、元練馬区議で現在は台湾大学で研究と、台湾でのビジネスをしておられる野崎孝雄氏に講話をお願いしました。
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台湾の経済と日本人の経済活動について、以下のようなお話。

三年前くらいから台湾に進出する日本企業が増えた。

その理由は円安と震災後の台湾人の日本に対する協力であると考える。

台湾の経済は、昨年 過去最高の商業売り上げをあげ、物価は上がったているが、株価は上がらないこれは日本を含めた外資の経済活動が盛んになったことを表していると考える。

台湾人は、 人情があるが、会社に対してはドライである。

大卒初任給は10万円程度で、条件が良ければ転職は繰り返すし、社会もそれを許容している。

台湾人は、 英語、中国語、日本語を使いこなせる人材も多く、海外では日本人を雇うよりニーズが高い。

台湾は政府もかなり観光業にちからをいれている。

昨年、日本に来た外国の観光客は、1000万人。内台湾人200万人。

昨年、台湾に来た外国の観光客は、
800万人。内日本人140万人。

人口2300万人で九州ほどの大きさしかない台湾に日本は観光では負けているといっていい数字。

台湾は言葉の壁をなくすよう、あらゆる場面で政府が力を入れている。
日本も見習うべきではないか。
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書けない話もたくさんありますが、台湾のコアな情報をたくさん頂きました。
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夜の食事会には、台湾の外交部から羅秘書長らにご参加頂きました。

外交部とは日本の外務省にあたるもので、羅氏は日本では公使のようなお仕事をされていた方です。

羅氏からは、EEZや経済、観光、文化、地方自治体との交流のお話を頂きました。
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意見交換の中では、
外交部の若手の方から衝撃の事実が、、

今の台湾の十代では、日本のサブカルチャーより韓国のサブカルチャーが人気があることを聞いてしまいました。

韓国は国策でやってますからね。

日本ももっと考えねば、、
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最後の晩餐は、野崎氏や外交部の皆さんのおかげで実り多いものになりました。

謝謝^_^

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台湾研修 五日目 歴史と観光

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今朝は228記念公園にいき、228事件の解説を聞きました。

皆さんは228事件ご存知ですか?

226事件ではありませんf^_^;)

二・二八事件 ウェキペディアより

1947年2月28日に台湾の台北市で発生し、その後台湾全土に広がった、当時はまだ日本国籍を有していた本省人(台湾人)と外省人(在台中国人)との大規模な抗争。約40年後、戒厳令の終了と政府側の遺族への謝罪によりようやく終結した。

1947年2月27日、台北市で闇菸草を販売していた本省人女性に対し、取締の役人が暴行を加える事件が起きた。これが発端となって、翌2月28日には本省人による市庁舎への抗議デモが行われた。しかし、憲兵隊がこれに発砲、抗争はたちまち台湾全土に広がることとなった。本省人は多くの地域で一時実権を掌握したが、国民党政府は大陸から援軍を派遣し、武力によりこれを徹底的に鎮圧した。

*********
この事件は台湾の現代史で必ずおさえねばならない事件です。

台湾人が親日になる一つのきっかけではないかとすら私は思います。

当時の台湾人たちは、「犬去りて、豚来たる(中国語:狗去豬來)」(意味:犬〔日本人〕はうるさくても役に立つが、豚〔国民党〕はただ貪り食うのみ)と揶揄したくらいで、外省人と本省人の対立はいまでも続いています。
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中正記念堂。蒋介石の業績を伝える施設ですが、今は歴代総統をみんな入れていこうかという議論があるそうです。

賛成!
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総統府では中に入り、日本語の上手な方に日本統治時代の歴史を教えて頂きました。

当時も簡単に平定できたわけではなさそうです。
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午後は九份に移動し、昭和天皇が皇太子時代にこられ、滞在された屋敷を見学。
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今日はいつも雨の九份が晴れていて不思議な感じでした。
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後ろの建物は千と千尋の神隠しで湯婆ばの屋敷のモデルになったもの。

かつての遊廓です。

昔の九份は金の鉱山。命をかけて働く男が遊ぶ場所が、今は観光客のティースポット。

変われば変わるものです。
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私も芋ぜんざいを頂き、ホッと一息。

夕方からは勉強会と会食です。

ラストスパート。



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台湾にいるので台湾のニュース

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今、台湾で話題になっているニュースを簡単に解説。

この林氏、我々が今週行った金門島の馬山観測所から1979年、中国に逃げました。

しかし、この方、日本でいう防衛大学をトップで卒業したエリート中のエリートで、台湾軍部の期待の星で、

そんな人間が軍事機密を持って亡命したわけで、台湾政府は長い間事実を伏せ、行方不明扱いにしていました。

さすがに世界銀座のチーフエコノミストになった時には、亡命を認めざるを得なくなったようですが、、、。

家族や友人を捨てて亡命するにはどんな理由があったんでしょうか。

国の情報をうるなんて、、

日本では、秘密情報の保護法をつくるだけで、大揉めでしたが、世界はシビアな情報戦をあの手この手でやっています。

過去のことと、看過していてはいけないニュースかもしれませんね。


台湾軍部:中国亡命の林毅夫・世銀前チーフエコノミストへの手配は「有効」
2014年1月14日 12:09 財経新聞
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林毅夫・世界銀行前チーフエコノミスト

台湾メディアによると、台湾軍部は今月13日、1979年に中国本土に亡命した林毅夫・世界銀行前チーフエコノミストへの手配について、現時点でも「有効」だと発表したという。

また、林氏以外の黄植誠氏や林賢順氏など中国本土に亡命した軍関係者や民間人に対しても同様な扱いだと強調した。

なお、林氏を含めた中国本土に亡命した台湾出身者らは近年、親の葬式に参加するなど人道上の理由から一時の帰郷を台湾当局に数回嘆願した。

また、台湾の世論でも人道的配慮を求めていたが、軍部からの許可は得られなかった。台湾軍部は、林氏などの帰郷が可能だが、中国本土への亡命という反逆行為に責任を負う必要があると発言していた。


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台湾研修 四日目 大学生たちと交流

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研修四日目の夜は、

台湾大学の学生さんらを招き食事会。

三人の非常に優秀な学生さん達で、参加者に台湾のことをいろいろ教えてもらいました。
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彼らは、家族の方々も親日で、

小さい時には日本のアニメをみて、

思春期には日本のアイドルやドラマをみて、

大学で日本語や日本文化を学んでくれています。

驚くべきは、日本語をしっかり学んだのは大学からなのに、かなりのレベルの日本語が話せること。

今、彼らの周りの学生の二割が日本語を学んでいて、その比率はあがっているとのことでした!
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彼らのおかげで、参加者の台湾に対する好感度はますます上がり、みんなに台湾のことをより理解して頂けました。

彼らの内、二人は今年日本に留学してくるので、また日本で恩返ししたいと思います。

本当によい交流ができました!

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台湾研修 四日目 義愛公

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台湾南西部の嘉義県の富安宮という廟に「義愛公」と呼ばれ、戦前の日本の警察官の姿をした神様が祀られています。
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この警察官の名は森川清治郎。明治初めの実在の巡査です。

以下森川氏が祀られるようになった経緯。

明治30年(1900年)、森川清治郎は台湾の派出所に着任しました。

以下、日本語解説書より。
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当時の台湾は、各地で盗匪が絶えず出没し、民衆の生活を脅かしていました。環境衛生は劣悪でマラリヤ、ペスト、コレラ等の伝染病が発生しており、医療は未発達。

教育程度も低く、台南においての男子の文盲は9割という状況。

そのような世情の下、森川清治郎巡査は半農半漁の寒村に着任しました。

森川巡査は本来の警察官としての任務に遂行するかたわら、塾をつくり、自費で教師を雇い村民達には無料で読み書きを教えました。

また、衛生改善や農業指導にも尽力。
着任地の村の発展と民の安寧のために働きました。

ある日、怪我をして海中で泣いている村民を見付けました。森川巡査は海に飛び込みその漁師を救助し、そこから2キロほど離れた家まで背負い介抱しました。その後、救助された漁師よりも森川巡査の方が大怪我をしていた事を周囲は知り、森川巡査の義心に感動しました。

また1902年、総督府は漁業税を制定しました。貧しい村びとたちは、税の軽減をお願いできないかと督促の任につく森川巡査に嘆願しました。納税は国民の義務だが、村びとたちの貧苦を誰よりも知っている森川巡査は、上層部に上申しました。

しかし、森川巡査が村民を扇動していると曲解され、戒告処分になります。

村に戻った森川巡査は、村民たちに、悲痛な面持ちで語りました。「税金の事に就いては、自分のカではもうどうすることも出来ない。自分は首クビになってしまった。皆も苦しいだろうが、右の様な事情だから国の為と思って快く税金を納めてくれ、私からもお願いする」。

湧き上がる涙を村びとには見せまいと背を向け、森川巡査は宿舎に戻りました。

村びとと苦楽を共にし、村びとの安寧に尽くした森川巡査の失望の深いものでした。

次の日の朝、森川巡査は拳銃で自決しました。享年42歳。「疑われては弁解の術もない、覚悟する」と書き留められた名刺が一枚、ポケットに残されていました。

森川巡査を敬愛していたた村民たちは、変わり果てた姿の巡査にしがみつき号泣しました。森川巡査は、村びとたちの手によって、村の共同墓地に埋葬されました。

そして、約20年の歳月が経過します。

この地域で伝染病が大流行した大正12年のある日のこと、制服姿の警察官が夢枕に立ち、「衛生状態を改善せよ」と告げると去って行きました。

そのお告げは村に広まり、間も無く、村の伝染病はおさまりました。

村びとたちは、自分たちの親や祖父母に心から尽くしてくれた森川巡査が、死後も自分たちを護ってくれていることを心から感謝しました。

そして巡査の制服姿の神像を作り、富安宮という廟に「義愛公」と呼んでお祀りしました。
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そんな森川さんが神として祀られる富安宮を皆で参拝。

村長さんがわざわざお出迎えくださり、なんと神様を開帳して下さいました。
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実は今の廟は仮のもので、本体は立て替え中。
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今回訪れた寺院の中で一番豪華な建築物で、村長の好意で中を見学させて頂きました。
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なんとそこには龍馬(麒麟)が((((;゚Д゚)))))))
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壁には三国志のストーリーが描かれていました。

地域の方の想いで支えられるお寺に、
日本人が祀られているのは、本当に有難いです。

台湾人は本当に信心深いな、と感じる一日でした。

「恩」を大切にする国民性と聞いてます。

それは、3.11の時にも感じましたね。

我々も忘れないようにしましょう。




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台湾研修 四日目 八田與一と烏頭山ダム

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午後はアジア最大のダムといわれた烏山ダムを視察。
これをつくったのが金沢出身の八田與一氏。
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八田 與一(1886年2月21日 – 1942年5月8日)は、日本の水利技術者。

ダムと嘉南大圳についてウェキペディアより。

1918年(大正7年)、八田は台湾南部の嘉南平野の調査を行った。嘉義・台南両庁域も同平野の区域に入るほど、嘉南平野は台湾の中では広い面積を持っていたが、灌漑設備が不十分であるためにこの地域にある15万ヘクタールほどある田畑は常に旱魃の危険にさらされていた。そこで八田は民政長官下村海南の一任の下、官田渓の水をせき止め、さらに隧道を建設して曽文渓から水を引き込んでダムを建設する計画を上司に提出し、さらに精査したうえで国会に提出され、認められた。事業は受益者が「官田渓埤圳組合(のち嘉南大圳組合)」を結成して施行し、半額を国費で賄うこととなった。このため八田は国家公務員の立場を進んで捨て、この組合付き技師となり、1920年(大正9年)から1930年(昭和5年)まで、完成に至るまで工事を指揮した。そして総工費5,400万円を要した工事は、満水面積1000ha、有効貯水量1億5,000万m3の大貯水池・烏山頭ダムとして完成し、また水路も嘉南平野一帯に16,000kmにわたって細かくはりめぐらされた。この水利設備全体が嘉南大圳(かなんたいしゅう)と呼ばれている。


今の価値にして約5000億円規模の大事業。
地球半周分の水路をつくり、灌漑事業をするなんて、当時の日本はスケールがでかい。
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晩年と奥さんについて。

太平洋戦争中の1942年(昭和17年)5月、陸軍の命令によって3人の部下と共に大洋丸に乗船した與一は、フィリピンの綿作灌漑調査のため広島県宇品港で乗船、出港したが、その途中、大洋丸が五島列島付近でアメリカ海軍の潜水艦に撃沈され、八田自身も死亡した。沒後贈正四位勲三等。

日本敗戦後の1945年(昭和20年)9月1日、外代樹も夫の後を追うようにして烏山頭ダムの放水口に投身自殺した。
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ここがその放水口です。
悲しく美しいお話(T_T)
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視察はまず八田與一記念館でビデオ学習。

ダムの意義や八田さんの功績について学びます。
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続いてお墓参り。七年前より綺麗に整備されていました。
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最後は2011年に整備された八田與一記念公園に。

八田さんを含めた四人の技師の当時の家を二億の予算をかけて、復元整備。

当時、予算についての反対は一切なかったそうです。それだけ八田さんが尊敬されているということかと思います。
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このダムや公園全体を世界遺産にしようという動きもありますが、

実は裏話もあり、国民党の馬英九総統が二期目の選挙をにらみ、自身の中国よりの立場の批判をかわすために、親日派が喜ぶ事業としてすすめた整備でもあるとのこと。
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八田さんの業績はアニメにもなっていますので、見られたことのない方は是非ご覧下さい。

海外で知られている日本の偉人のことを日本人が知らないのは、恥ずかしいですからね。

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台湾研修 四日目 飛虎将軍

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四日目のスタートは、台南の鎮安堂に飛虎将軍を参拝。
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垂幕を下げて歓迎して頂きました。
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ウェキペディアより

飛虎将軍廟、正式名称鎮安堂飛虎将軍廟は、民間信仰の廟で日本軍人が神として祀られている。

1944年台湾で日本海軍の兵曹長であった杉浦茂峰は、台湾沖航空戦に出撃。10月12日午前、台南上空でアメリカ空軍を迎え撃つも撃墜され畑の中に落ちて戦死した。軍靴には「杉浦」と書かれていて、その後航空隊分隊長の森山敏夫大尉の協力で、この飛行士が「杉浦茂峰」と判明。

第二次世界大戦後、村のあちこちで不思議な夢を見たという噂が広まった。白い帽子と服を着た日本の若い海軍士官が枕元に立っているという夢を見たという者が、皆に話したら、同じ夢を見たという者が数名名乗りでた。その後部落の有志が集まり、その海軍士官が部落を戦火から救うために、自分の生命を犠牲にしたことが判明。そして1971年、杉浦茂峰を祀るためにこの廟を建設した。
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このストーリーは漫画にもなって配布されています。
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みんなで参拝し、お守りも頂きました。
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中には日本の国旗や戦闘機の模型も。
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これはあの世で使えるお金です。

燃やしてあの世に送ります。
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我々が参っている最中も地元の方が、参拝に来られてました。

日本人が神様になっている施設が地元の方の思いで運営維持されている姿は日本人としてありがたいです。

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