▼はじめに
2022年の参議院選挙にむけて、
参政党全国比例区第五支部長に就任した
神谷宗幣(かみやそうへい)です。
私は2013年からイシキカイカク株式会社を設立し、
「CGS」というYouTube番組の配信や「イシキカイカク大学」という
リアルとオンラインを組み合わせた社会人向けのセミナーなどを運営してきました。
今回はなぜ私が参政党を設立し、みんなで参議院議員選挙に
挑戦することにしたのかを4回に分けてお伝えしたいと思います。
第1回:神谷そうへいの想いとこれまでの活動
第2回:どうして参政党を作ったのか
なぜ国政政党で国会議員の輩出を目指すのか
第3回:私たちの実現したい政策
第4回:あなたにお願いしたいこと
神谷そうへいの想いとこれまでの活動
■幼少期〜学生時代のわたし
私は福井県の高浜町という人口1万人ほどの小さな町で生まれ育ちました。
両親は共働きで食品スーパーを経営しており、私は小さな時からいつも1人で遊ぶことが多かったせいか、
対人関係を作るのが下手で、小学校の前半は先輩や同級生からいじめられていました。
当時は勉強も運動も全くダメでした。自分はダメな人間だとすら思っていました。
しかし、小学校5年生の時に好きな女の子ができ、その子に自分の存在を知ってもらいたい一心で
勉強や運動をやってみたところ実はやればできることがわかり、自分のセルフイメージが一気に変わりました。
6年生ではガキ大将かつ児童会長になって、我が世の春のような状態を謳歌しましたが、
慢心が過ぎて、中学校では一転孤立した学生になってしまいます。
それでもまた生徒会長をやるんですが、ここでは先生たちとぶつかって、
2週間ほど学校をボイコットして山口県まで一人旅するような学生生活でした。
この頃から自分が違うと思ったことは、どれだけ強制されても受け入れたことがありません。
高校では1年の夏に付き合った子に「話が重たい」と3日で振られ、
勉強や運動のように数値化できる能力と人間としての魅力はイコールでないことを理解しました。
以来受験勉強はやめて、生徒会長や演劇、部活動、読書、ボランティア活動などに没頭しました。
なんとか大学には行きましたが、1年もしないうちに「大学の勉強も意味がないな」と思うようになり、
当時憧れていたアメリカに留学することを目標にバイト三昧の生活をするようになりました。
■世界をまわり、日本の教育の問題に気づく
大学3年生が終わった時に、1年間休学し、世界18カ国を回りました。
そこで同世代の若者たちから「君は日本人として日本をどうしていきたいのか」と問われ、
答えられなかったことをきっかけに、日本の教育や政治について考えるようになりました。
帰国後、周囲の友人に「若い世代がもっと日本の未来や政治を考えるべきだ」と話していると
「あいつは海外で変な宗教に入った」と言われるようになり、日本の問題の深さを痛感しました。
海外の若者とは当たり前に話せる話をどうして日本人はできないのか、何が日本人の問題なのか、
と考えていたところ教育に問題があると思い至り、それを何とかするには
政治家になるべきではないかと考えました。23歳でした。
大学卒業後は、司法試験を受けて弁護士になり、そこから国会議員になろうと考えて勉強していました。
しかし、25歳の時に実家の父の会社が倒産。
その処理をしている最中に婚約破棄をされてしまい、すっかりメンタルを病んだことがあります。
正直その時は、「政治や社会なんてどうなってもいい、自分の生活が一番」くらいに思っていました。
こうした経験もあるので、私は誰しもが政治や社会の未来を考えることはできないと思っています。
まず、自分の足場を固め、自立した生活を作ることが土台で、それができた人が
社会や他人のことを考えられると思いますし、そのための教育を大切にしたいのです。
メンタルを病んだときは本当に辛かったです。家から出るのも嫌でした。
しかし、親戚や友人に助けてもらい、何とか心と目標を取り戻して、
大学院に3年通い、2007年に29歳で吹田市の市議会議員になりました。
政治を始めてからも辛いことは多くありますが、
25歳の時のどん底を思えば、すべて軽傷だと思える自分が心の中にいます。
■「教育改革」を掲げて本気で取り組んだ政治活動
29歳から35歳まで無所属で吹田市の市議会議員をしていました。
私の基本政策はずっと教育です。
自分自身の反省から「日本の若者が我が事として日本の将来を考えられるようになってほしい」と思い本気で活動しました。
私の想いは、吹田市だけでは完結できず、2009年には当時大阪府の知事だった橋下徹氏を代表に、
私が事務局長で「大阪の教育維新を市町村から始める会(略称:大阪教育維新の会)」を設立しました。
1年ほど活動しましたが、橋下氏の想いが教育にないことが分かったので、
その後彼らが名前を引き継いで作った「大阪維新の会」には参画せずに
自分たちで全国を回り志ある政治家を集め、2010年に「龍馬プロジェクト全国会」を設立しました。
「龍馬」の名前を借りたのは、彼らが作った国家ビジョン「船中八策」のようなものを世に訴える目的があったからです。
今では「武器商人」としての龍馬がフォーカスされ、よくネーミングについてクレームが来ますが、
当時はそんなイメージはほとんどなかったのです。
龍馬プロジェクトをやったおかげで、私は一地方議員でありながら、
北は北海道、南は沖縄までたくさんの政治家の仲間ができました。
大阪維新の会の問題点を指摘していたことや全国の仲間の推薦があったことで、
私は2012年にいきなり自民党の支部長になって衆議院議員選挙に出ることになります。
当時の総裁は安倍晋三氏。
自民党の「日本を取り戻す」というメッセージに共感し、私もその一助になればと思い、自民党に入りました。
しかし、大阪での維新の会の人気は凄まじく、選挙は惨敗でした。
それでも次の選挙に向けて頑張っていこうかと思っていたのですが、
自民党に入ってみていろいろと日本の政治の形を知ることになります。
当時の関係者もまだたくさんおられるので、詳細は敢えてここには書きませんが、
自民党(大阪)にいては、国会議員にはなれても私の目指す教育の改革はできないことがよくわかりました。
1年ほど我慢はしていましたが、帯状疱疹まで出てきたので、「自分の魂には正直に生きよう」
と思い別の選挙に出ることを口実に自民党は辞めさせてもらいました。
議員を辞めた後は、自分で会社を作り資金を調達して、
その当時まだやる人が少なかったYouTubeで独自配信を始めました。
「チャンネルグランドストラテジー(略:CGS)」という番組です。
学校では教えてくれない「日本の歴史や先人の想い」やテレビが報道できない「日本の課題」をみんなで学び、
日本の「大戦略」や「船中八策」を考えようという趣旨で今でも毎日配信しています。
■自分の子供を通わせたいと思える学校づくり
情報配信を行うと同時に日本のモデルとなる学校を作ろうと、
国内や海外を回りいろんな学校を視察し、教育カリキュラムなどを学びました。
その過程で、大阪の森友学園の学校づくりにも協力して欲しいと依頼され関わったことがありますが、
内情を知って問題提起をしたら、すぐに追い出されてしまったということもありました。
ここで学んだことは、人の計画に乗るのではなく、自分で理念を立て、理解者や仲間を集めてやらないと
本当に納得できる学びの場は作れないということでした。
こうして、情報発信をしながら講演などでお金を頂き、世界を回って教育について考え、
日本国内を回って学校をつくる候補地を探す活動を5年ほど続けてきました。
発信活動をすると同じ想いを持つ仲間が増えます。
繰り返しになりますが、私の発信テーマは学校では教えてくれない「日本の歴史や先人の想い」、
テレビが報道できない「日本の課題」ですから、そこにアンテナが立った人が集まってくれます。
そんな方々の想いを聞いていくと
「神谷さんの発信でいろんなことに気が付けたけれど、それを周りに話すと変な宗教にでも入ったのかと言われる」とのこと。
どこかで聞いた話です。
そうした方々が疎外感を感じないように、仲間がいるんだと伝えるために、2015年ごろから大人のための塾を始めました。
それが進化したのが、今私が運営する「イシキカイカク大学」です。
CGSなどに協力してくださった講師の先生方に一堂に会してもらい、
歴史・経済・教育・食・医療・国防・メディア・スピリチュアル・政治といったテーマを繋げて学ぶことで、
世の中のしくみを理解しそれをどう変えていけばいいかを考えてもらい、
同時に全国に仲間を作ってもらうというコミュニティーを作りました。
しかし、今度このコミュニティーで言われたのは、
「神谷さんは、どうして政治のことも日本の課題もある程度理解しているのに、発信するだけで実際に行動しないのか」
ということでした。
これは厳しい指摘でした。おっしゃる通りだからです。
非難や批評するのは簡単で誰でもできます。
しかし、実際に改善案を考えて行動するのはとても難しい。
論評だけでお金を頂くのは批評家で、教育家でも政治家でもない。
そう考えた私は、先に地方に学校を作ることを決めました。
どういう学校かというと「日本のリーダーを育成する学校」です。
リーダーとは、自分で課題を見つけ、自分で考え、行動しその解決を導ける人です。
そのために必要なのは、健全な「身体と脳」です。
それを育むには、思いっきり遊べる自然環境、身体と脳を作る健康な食、子供に変な枠をはめない教養のある大人、
リーダーのモデルが必要だと考えて、それらが揃う場所でかつ、行政の協力を得られる場所を全国に探しました。
そして見つけたのが今私が住んでいる石川県の加賀市です。
結果から言うと2020年に加賀に移住できたのですが、
それまでに何度も失敗し、学校を作ると決めてから4年の歳月がかかりました。
それでも、今では3歳児からの認可外保育園、小中学生のフリースクール、
高校生や大学生が通う私塾の構想ができており、加賀に100名近い移住者が集まってきてくれています。
■まとめ
長くなりましたが、私の想いと活動をまとめます。
私は海外に行ったことで、我々が受けてきた日本の学校教育には問題があると気づきました。
今の教育では、自分で考えず、与えられたことや言われたことだけやって、
リスクを取らず自己利益や保身を図る人間ばかりが育ちます。
結果、世のため人のために将来を構想するリーダーが生まれず、日本の国力は衰退の一途を辿ります。
ですから、私は政治の世界に入って教育を変えたいと思いました。
そして紆余曲折を経て一時は一番条件のいい自民党から国会議員になろうとしたわけです。
しかし、そのやり方では日本の教育は変えられないということが理解できたので、
情報発信をしながら仲間と資金を集めて、自分が必要だと思う学校、自分の子供を通わせたい学校を作っているのです。
そして、このような活動を経て、2020年4月に「参政党」という新しい政党を設立しました。
普通は、わざわざ新しい政党を作ろうとは思わないですし、
実際、参政党の設立・運営には語りきれないほどの大変さがありました。
しかし、その大変さを乗り越えてでも、日本をよくするには新しい政党が必要だ!
という考えが私にはありましたし、同じように思ってくれている仲間が集まりました。
次回は、「どうして参政党を作ったのか」「なぜ国政政党を目指すのか」
というテーマで、私の想いや、既存の政党と参政党の違いなどについてお話したいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。