11月25〜28日は広島から島根にかけて、遺跡や神社などを回りながら、日本の古代史について考えてきました。
【初日】
初日は移動に大半の時間を費やしたため
比婆山の熊野神社だけの参拝になりました。
こちらは比婆山に御陵があるとされるイザナミ命を祭っており、かつては比婆大神社と呼ばれ、御陵の遥拝をする場所だと思われます。
イザナミの御陵とされる場所はいくつかありますが、こちらはかつては全国からの参拝者が集まるほど信仰を集めていたようです。
今はみんな古事記も知らないので、イザナミがどうして広島にと感じるかもしれませんが、比婆山を越えるともう出雲なんです。
【2日目】
2日目の朝は、庄原にある葦嶽山の日本ピラミッドを訪問してきました。
日本にピラミッドが⁈
と思うのが普通ですが、こちらしっかり道路の標識も日本ピラミッドで表示されていました。
このピラミッドは昭和7年に酒井勝軍により発見され世に知られました。
酒井勝軍という方についてはこちらの記事がわかりやすいのでリンクしておきます。
↓
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/S/sakai_k.html
オカルティストと書かれていますが、彼は軍にも協力し中東にもちゃんと調査に行ってるんですね。
ロシアが作ったとされる「シオンの議定書」を研究し、一時ユダヤ排斥論を唱えますが、のちに立場を変え、親ユダヤ、日ユ同祖論などを唱え、ユダヤ人を満洲に移住させる河豚計画をつくる論拠を作った人でもあります。
酒井は、ピラミッドは古代祭祀の場所であると考えていました。
ピラミッドというと私もにわかに受け入れられませんが、日本各地を回っていて、全国の山々に人工的に巨石を並べた場所をたくさんみてきたので、古代の日本人が祭祀をしていたということは素直にうなづけます。
葦嶽山のピラミッドのすぐ近くにも明らかに人工的につくられた巨石のフィールドがあり、こんなものを山の上につくれたということは、古代人にはどんな力があったのだろうと想像が広がりました。
イスラエルから帰ったばかりなので、古代のユダヤ教と古神道のつながりについてもいろいろ考えさせられます。
実際イスラエルにもその研究者はいらっしゃると聞きました。
一見とんでも論とみえるものから、世界を和合させるヒントが見つかるのかもしれません。
ピラミッドのあとは、葦嶽山近くの蘇羅比古神社により、奥出雲に入って吉田町のたたら場跡を見学してきました。
この地域は映画「もののけ姫」のモデルにもなったところで、資料館などではたたら製鉄や日本刀の作り方の様子などがよくわかります。
砂鉄から鋼をつくり、刀をうって日本刀にするまでのプロセスを知ると日本刀の本当の価値がわかりました。
かつて刀は武士の命だと言っていた意味も理解できました。
貴重な資料がたくさんあるので、日本人なら一度は訪問して、日本のものづくりの凄さを学ばれたらよいと思います。
2日目の最後は、出雲に入りかつてスサノオが隠居先にしていたといわれる須佐神社に立ち寄り、玉造温泉に泊まりました。
温泉では安来節の演芸をみせていただきましたが、あれはどじょうすくいではなく砂金をすくう様子だと言われる意味がわかりました。
3日目のスタートは八重垣神社から。
朝から人がいっぱいですっかり縁結びの観光地になってしまった感がありますが、こちらには凄い資料も残っていると聞いておりますので、いつか機会があれば神社に伝わる資料でそのルーツを学べたらと思っています。
続いてはアメノホヒが建てたといわれる神魂(かもす)神社に。
アメノホヒはアマテラスとスサノオのうけいから生まれた神で、のちにアマテラスの命でオオクニヌシに国譲りを勧めにくるもオオクニヌシに服従した神様といわれ、今の出雲の国造の先祖といわれる神様です。
日本には神話の神様に繋がる家系図を持たれている家がいくつもあることを皆さんご存知ですか?
そうなると神話が全てフィクションだともいえなくなると思っています。
続いては熊野大社に参拝。
9月に和歌山の熊野大社に参拝してきましたが、こちらの社伝では和歌山の熊野の元はこちらからと記されています。
確かにスサノオは神武天皇よりも前の自体の方ですから、出雲が発祥でもまっくおかしくはありません。
明治の時代に廃止された上社にも参拝し、熊野山を遥拝遥拝してきました。
続いては、ヤマタノオロチを倒したスサノオがクシナダヒメと暮らしたという須我神社に!
日本の初の宮で、和歌発祥の地ともいわれています。
その和歌とは、
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣作る その八重垣を」というもので、
意味は、幾重にも重なった八重に湧き出る雲が八重垣となる出雲の地において、妻と共に住む、と解釈するのが通説ですが、
これは後で意味をつけて漢字を当てはめたもので、元の記載は全く違う感じでかかれています。
ネットで調べてみるといろいろな解釈がでてきますので、皆さんなりに考えてみて下さい。
妻との生活をわざわざ詠んだとは私にも思えないのです。
続いては、かつて出雲をまとめていたと言われる「富一族」が崇敬していた富神社(とび)に参拝してきました。
近くの地名はどこもかしこも「富」だらけ。かつての勢力が伺われますが、今は非常に質素な神社です。
家紋は大根2つ。元々は刀だったようですが、平安時代に大根に変えられたとのこと。
富一族はいつ失脚しどこへ行ったのか。
そんなことを考えました。
その次にいったの出雲井神社。
今では出雲大社の摂社とされる神社ですが、ここには、国譲り前の「出雲神族」の祖神とされる「クナト」という神様が祀られています。
この「クナト」は、「日本書紀」では「岐神」として、「古事記」では「衝立船戸神」と表記されている神様。
今回は、ガイドの大村さんに、
「オオクニヌシ」の末裔で、一子相伝の「口伝」を伝えてきた「富(とみ)氏」の伝承のお話をききました。
私が初めて知ったのは、『出雲の大祖先は、「クナト(岐神)」のリーダーで、隠された女神に「アラハバキ(荒吐神)」があり、体制側によってこれらが抹殺されようとしたとき、「クナト」は「地蔵」に、「アラハバキ」は「弁才天」へと形を変えて残された』という話でした。
また、アイヌの古語では「クナト」は「男根」、「アラハバキ」は「女陰」の意味をあらわし、本来は一対のものだとも聞きました。
オオクニヌシーオオモノヌシ(蛇)ー三輪山ー関西ーナガスネヒコ(登美毘古)ー富一族ークナトーアラハバキー東北ー阿弖流為ーアイヌ
といった、私が全国で学んできた知識が繋がった瞬間でした。
ここで大村さんに聞いた話は、「神迎祭で迎えるのはオオクニヌシの流れの国津神だけで、天津神はきてないと聞きました」というもの。
伊勢の神宮と出雲大社は全く雰囲気が違うし、系統も分かれていると聞いてましたが、、びっくりしました。
神迎祭が粛々と行われ最後に神楽殿でみせていただけたのが、神様たちを先導してきた御神体の「龍蛇」さま。
これはまさしく蛇であり、龍でした。
これが拝めただけで今回の研修に来た甲斐があります。
ただ、この日はあまりの情報量に、参加者一同頭がパンクしてしまいました。
【4日目】
メインを終えて最終日は7時出発で、一箇所でもたくさんのポイントを訪問しようとするトライアルでした。
まず黄泉の国に繋がる
黄泉比良坂と揖夜神社
神社ではまた龍に出会います。
猿田彦を祀る佐太神社から、
古代信仰を感じる立石神社、
スサノオと製鉄、半島を連想できる韓竈神社
古代人が黄泉に繋がると考えた猪目洞窟
スサノオが一時暮らしたっ言われる日御碕神社
そして締めは、大量の銅剣などが発見され、古代の出雲王朝の存在を決定づけた荒神谷遺跡
なぜ荒神谷というかというと、近くに荒神さまを祀っていたから。
一説には荒神=アラハバキ神との話もあり最後まで考えさせられました。
【まとめ】
今回の研修は、
出雲族のルーツを探る北陸の白山王朝の旅に始まり、
神武天皇のルーツであるウガヤフキアエズ王朝の旅に続く第三弾でした。
出雲の次は京都と奈良で、そこから関東→東北→北海道に流れていく予感がします。
考察しているのは縄文の時代に何があったのか、日本人とは何かです。
先輩方の教えを受けて、私なりの「国学」を体系化するところから日本の未来を考えたいと思っています。
私は、日本人は「島国根性をもった単一民族だ」という刷り込みを受けて育ってきましたが、
歴史や日本のDNAを調べていくとどうもそれは嘘のようです。
日本人は縄文の時代から世界中に出て行って、戻ってきた世界中の民族や文化を受け入れて今の日本ができているのだと思います。
多文化、多様性、グローバルのお手本の様な国が日本であるということを知らないのが、今の日本人ではないでしょうか。
今回の研修で一緒だった議員さんが、あまりに歴史を知らなかったので、
神話、大化改新ー壬申の乱、明治維新、敗戦-占領期の4つのポイントは絶対におさえて、日本の在り方を考えて欲しいと強くお願いしました。
日本は教科書に書かれたような単純な国ではないと思います。
それを皆さんと一緒に学んでいきたいです。
12月16〜17日には伊勢の神宮で
「神話を体感する会」を開催します。
↓↓↓
https://www.gstrategy.jp/event.php?itemid=1693
日本の歴史や在り方に興味のある方、
これからの日本を考えたい方、
神聖な場で身と心を綺麗にしたい方、
は是非参加して下さい!