今回は、若者の政治活動が盛んな香港に取材に行ってきました。
香港の若者が今なぜ人生をかけて政治活動を行うのかを、インタビューに基づいて簡単にまとめます。
香港の返還と中国共産党との関係
アヘン戦争後、1842年からイギリス領となった香港は1941〜45年の日本統治期以外はイギリスの植民地として、中国本土とは違う発展を遂げました。
そして1997年にイギリスから中国に返還がなされた時には、「一国二制度」の取り決めの下、植民地を脱して中国が世界経済の中で活躍するゲートウェイとして、中国とヨーロッパの架け橋としての役割を果たそうと、香港人の多くが未来に希望をもっていました。
そして、返還から2003年にかけて香港政府と共産党の間で、香港統治にかかわる「香港基本法」のすり合わせが行われてきましたが、2003年にその23条で、「国家安全条例」を制定し「香港特別行政区は、反逆、国を分裂する、叛乱を煽動する、中央人民政府を覆る及び国家機密を盗む行為を禁ずる法律を、自ら制定するべし」というような内容が定められそうになったことで、50万人の香港市民が中国共産党の支配に危機感をもち、デモを起こして、この条例の制定を阻止しました。
2003年当時は、まだ北京政府には経済力もなく、香港人の力を軽視できなかったからだと分析されています。
若者が動きだす 反国民教育運動
その次に大きな動きがあったのは2012年。
香港政府はこの年、「中国人としての誇りと帰属意識を養う」ことを目的とした「道徳・国民教育科」を小・中学校に導入するための推進委員会の設置を検討し始めますが、「道徳・国民教育科」では中国共産党を称賛し欧米の政治体制を批判する教材が採用されているため、「洗脳教育が目的」として、導入に反対した学生ら約9万人が抗議デモを行い、導入を中止させました。
運動の中心になったのは、黄 之鋒(こう しほう)君。彼は当時16歳で「Time」誌の表紙を飾ることになります。
こうした赤化、同化への反発の背景には、大陸からやってくる中国人への嫌悪があります。
例えば、私も現地で視察してきましたが、列車で香港に買い付けにくる「運び屋」と呼ばれる中国人が、香港人の生活必需品を買い尽くしていったり、観光に来ても平気で路上で用を足したり、香港人を二等国民扱いする中国人に香港人は失望しています。
それでも、北京政府の意向で1997年以降、毎日150名の中国人に香港への永住権が与えられ続けていて、単純計算でもこの20年で110万人の中国人が香港に流入してきています。また、香港で生まれた子供には永住権が認められるので、中国人は妊娠すると香港に来て出産をするため、香港人が産婦人科にかかれないという問題も出ています。
こうしたことが重なり、20年で香港の人口は230万人増えていますが、その増加数のほとんどが中国から移住してきた人達であるとのことでした。
以上のような背景で、香港人は、若者中心に香港人としてのアイデンティティを強くしていったということです。
私たちが移民の受け入れに反対しているのは、こうした香港の事情を知っているからだとご理解いただきたいです。移民は、いずれ民族間の対立を生んでいくのは、世界共通のセオリーなのです。明日は我が身です。
2014年の雨傘運動
こうした流れの中で起こったのが、2014年の雨傘運動でした。
香港では、次回2017年の行政長官選挙(香港の大統領選挙のようなもの)から1人1票の「普通選挙」が導入される予定でしたが、北京政府は行政長官候補は指名委員会の過半数の支持が必要であり、候補は2-3人に限定すると一方的に決定し(八三一決定)、親中派の人間しか立候補できないようにしたのです。
なぜ、行政長官選挙が重要かというと、香港の立法会(国会のようなもの)は、議員の買収などで親中派が多数派をとるようにすっかり出来上がっており、トップを選挙で香港派にすることしか「香港を取り戻す」方法がないと考えた背景も我々は知っておく必要があります。
雨傘運動は、私も実際に現地に行きましたが、圧倒的に若い人たちが多くそのパワーに圧倒されました。当時は、2012年からの流れを理解できていなかったので、どうして若者がこれほど政治に関心をもって活動するのか、十分に理解できていませんでしたが、今回の視察でそれがよくわかりました。
雨傘運動は、79日で政府に鎮圧されることとなり、彼らが求めていた「普通選挙」は実現しませんでした。しかし、この運動で香港の危機に目覚めた若者は多く、その後の活動へと広がっていきます。
独立派の二人の議員の資格失効
2016年9月。雨傘運動で香港政府の実態に危機感をもった青年たちは、勢力を結集して新政党「青年新政」を作り、20代の梁頌恒氏と游蕙禎氏を立法会議員(日本の国会議員のようなもの)に当選させました。
しかし、同年11月に、中国の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)の常務委員会は、議員2人について、規定に沿った就任宣誓を行わなかったため資格を失った、との法解釈を示したのです。2人は何度も宣誓しようとしましたが、毎回規定の文言を変えるなどして抵抗し、独立を主張する垂れ幕を掲げる場面もあったそうです。
それにしても選挙で通った人を議員として認めないとは凄いことをします。
当時のニュース:http://www.bbc.com/japanese/37893263
当時の動画:https://www.youtube.com/watch?v=z4x-8f2zV5o
香港でも、年配の方々は「一国二制度」の下で、香港の民主政を守ろうという「民主回帰論」が主流のようです。しかし、若者の支持を受ける二人の議員が「香港独立」を訴えるのは、「一国二制度」を謳いながら共産党が徐々に同化政策を進めており、政治家もメディアもお金で買収されていくことに我慢がならないからだとのこと。
また、国際会議で香港の民主政治の団体を訴える国があっても、中国共産党からお金をもらうギリシアのような国が毎回「それは内政干渉だ」とクレームをつけ、議論をさせない環境を作っていることを彼らは理解して、香港の自治を守るには独立しかないという結論に至ったということです。
なぜ、若者は戦うのか
取り上げた事件の他にも2016年の2月には、香港九竜の繁華街旺角で、独立派の若者と地元警察の衝突事件なども起きていて、最初に警察の一方的な取り締まりに声を上げた青年などは、暴動に参加していなかったのにも関わらず、逮捕され裁判にかけられ、数年の懲役をくらおうとしています。
そんな20代の青年のグループにインタビューをし、なぜ人生をかけて活動するのかと尋ねると、「こんなことをしなくていい国にするため」「香港という土地に生まれた以上、香港を守る責任がある」という答えが返ってきました。
日本の若者でこんなことを言う人を、残念ながら私は知りません。
さらに、日本人へのメッセージは?と聞くと、「香港の実態をちゃんと知って、現代帝国主義を進める中国共産党のことを理解してほしい」「我々はもはやどうしようもないところに来ていますが、次は日本かもしれませんよ」とのことでした。
以上が、日本では「過激派の政治運動をする青年グループ」と報じられている若者たちからのメッセージの要約です。
私も政治に携わる人間としていろいろな反省をしましたし、偶然にも衆議院選挙期間の訪問であったため、日本の政治との温度差に危機感を覚えました。
これが世界の政治の現実なんです。引き続きウォッチしていきます。