今までの憲法ミーティングといえば、改憲か護憲を争うようなものでしたが、私はそれでは学生や若い人が聞いても面白くないと思うので、違う話をしています。
憲法は何か、とか、日本を取り巻く環境と我々若い世代が考えるべきことについてです。
その時に大切なのは、我々が我が国のことを知っているかどうかということで、歴史の重要性を語らずにはおれません。
昨日もそんな話をしてきたんですが、
終わってから歴史好きの私のために、三重JCの皆さんが松阪の本居宣長記念館に連れて行って下さいました。
私は本居宣長が松阪の生まれ育ちとは知らなかったくらいです。
記念館で驚いたのは、宣長直筆の本や巻物がたくさんあり、その内容です。
宣長は15歳で中国の三皇五帝からの統治者一覧を巻物にまとめていて、中国の王朝の断絶に気づき、日本の皇室の連続性のことを調べるために古事記を学び始めたことを知りました。
いつの時代もシナは反面教師です。
また17歳で本を読んで日本地図を書き、
19歳では空想の街を図面に書いてその町の住人の家系図やキャラクターをまとめています。
まさに現代のロールプレイングゲームのクリエイターのよう。
2年間家にこもってそんなことをしていた宣長は、親のすすめで京都にでて医者になります。
そして松阪に戻り、学問をすすめ、たくさんの研究を本にまとめて全国に本を広めていきます。
素晴らしい業績ですね。
一方社交的で、決して学問オタクでもなかったというのですからかないません。
また、15歳から日記を書き始め、0歳から72歳で亡くなるまでの全て記録を残したというのです。
さらに自分が産まれた経緯もまとめています。
なかなか子供が出来なかった両親が奈良の吉野にお参りに行き、授かった子が自分であると。
ですから宣長は「桜」を愛していたのです。
しきしまの大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花
こんな素敵な話を情熱をもって語ってくださったのが、記念館の吉田館長です。
36年の研究とキャリアに感動しました。
我々も本居宣長や吉田館長のように、歴史や先人の想いを学びながら、
日本の未来や憲法を考えたいものです。
明日は千葉で憲法タウンミーティングです。
http://www.kamiyasohei.jp/2016/04/22/7488/