12年の2月以来、3年と8ヶ月ぶりに知覧にやってきました。
場内の案内がiPadに変わってましたf^_^;
その後は、特攻の母と呼ばれた鳥浜トメさんのお孫さんの鳥浜明久さんの講話をお聞きしました。
この期間に私もいろいろ経験しましたからねf^_^;
講話の後は、三角兵舎跡にいきましたが、なんと公園に整備されていて、以前のような雰囲気は全くありませんでした。残念です。
三年前はこんな感じでした!その後は飛行場あとが一望できる場所へ。この畑が全て飛行場でした。
夜は明久さんと会食
一部だけご紹介します。
1.特攻隊の皆さんは洗脳されていた、「天皇陛下万歳」笑って死んでいったというのは嘘
特攻隊はほぼ任命制に近いもので、断れない状況にあった。
当時の若者も今の若者と変わらない。死にたくなどなかった。
ただ、負けたら国がとられる状況にあり、家族や愛する人のために自分を納得させて特攻していった。
2.特攻の戦闘機は片道燃料だったは嘘
片道燃料の情報は戦時中の政府報道。国民の戦意高揚のために流したもの。
3.特攻隊はすべてゼロ戦でいったというのは嘘
特攻隊の多くは、爆撃機や複葉機でいっている。ゼロ戦を使えたのは一部の人だけ。
ゼロ戦以上の戦闘機は本土決戦にそなえてあと2000機ほど温存されていたと言われています。
二日目は、鳥浜トメさんのお墓参りから。
その後は、勢平浜にいき、開聞岳をみながら、黒島に不時着した特攻の方の話や戦艦大和が沈んだ話を聞いたり、ここに米軍が上陸しようとしていた計画をお聞きしました。 最後は富屋食堂の見学をして明久さんと記念撮影。
また、来年になりますが、明久さんのお話を聞きにまた皆さんを知覧へ連れていきます。
皆さん一緒に行きましょう。