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神谷宗幣 (かみやソウヘイ)
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俺と選挙と親父と涙

プライベート |

今日は少しだけ家族のことなどを書こうと思います。

現在、市議会議員選挙、市議会議員選挙(市長選挙)、衆議院選挙ときて、4回目の府議会議員選挙の準備をしています。

選挙のたびに一番力を貸してくれるのはやはり家族です。

私はまだ独身なので、家族というと両親になりますが、選挙ではいつもお世話になります。

事務所の留守番や食事の手配などは母にやってもらうのですが、

父の方はかなり広範囲に活躍してくれます。

私の父は、元々食品スーパーの経営をしていて、肉や魚などはすべてさばけますし、仕出しもしていたので料理もできます。

そして、趣味は日曜大工で、看板や選挙カーなどの製作はすべてやってもらっています。

さらに、今はタクシーの運転手をしているので、吹田じゅうの道を知り尽くしていて、街宣カーや選挙カーの運転はすべて任せています。

こんな父親ですが、普段は私が飛び回っているので、ほとんど会話をすることはありません(親父と息子なんてそんなものかもしれませんが)。

しかし、こうして選挙となると毎日のように共同作業になります。

もう親父も70近いですからこうして一緒にやれるのもこの選挙が最後かもしれません。

昔は怖い父親で、よくしばかれていました。

学校で上級生にいじめられて泣いてかえってくると、

【男がやられてメソメソ泣くな!】と親父からも殴られるのです。

上級生にやられるより親父に殴られる方が痛いので、そのうち外でやられても泣かなくなりました(汗)

しかし、そんな父も私が25の時に会社を潰してしまって、すっかり威厳を失いましたが、

その時から私自身が両親と家族を背負って生きていかねばならないと私の覚悟が決まりました。

2015-03-24 10.58.46

先日は、政治活動の合間をぬって、両親をつれてトンボ帰りで福井の故郷に帰りました。

実は、81歳になる父の長兄(私の叔父)が危篤状態であったからです。

父は「忙しいからお見舞いはいいよ」といいましたが、

私が小さい時から面倒を見てくれ、12年前に父の会社が駄目になったときも大変迷惑をかけた叔父ですから、最後の挨拶に行かないわけにはいきません。

今朝、その叔父が亡くなりました(しばらく両親は戦線離脱です)。

ずっと、私の選挙のことは気にかけてくれていたようです。

叔父だけではなく、衆議院選挙の落選から2年、ずっと応援してくださっていた方々が何人か亡くなっています。

そうして、政治家としての私に期待をかけてくださる、大切な方々が亡くなるたびに、自分の不甲斐なさが情けなくなります。

年老いていく両親を見ていて、申し訳なくも思います。

「まだ若いんだからチャンスを待って」なんて言葉は、私の耳には届きません。

明日死ぬかも知れないと思って生きています。

いっそのこと政治家の道を諦めようかと何度も思ったことがありますが、それは自分のことを考えた時のこと。

これまでの自分の言動や、周りの方の想いを考えた時、「政治家を辞める」という選択肢はなくなるのです。

さらに、選挙区は20年住むこの吹田の町にこだわってやっていきたいのです。

バッジをつけるだけなら、他にいい条件はありましたが、たとえ茨の道でもこの町にこだわりたかったのです。

それは、この町の方の想いをたくさん受けたからです(特に落選してからそれを痛感)。

しかし、それは言葉でなく、行動で示すしかありません。

だから必死でやるのです。

こんな想いを親父にも伝え、一緒に頑張っています。

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