日々の活動やニュースに対する考え、視察の報告などをブログにまとめています。

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神谷宗幣 (かみやソウヘイ)

ブログの記事一覧

法科大学院は必要か?

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今年も司法試験の合格発表がありました。

2~3年も法科大学院に通った学生さんには厳しい数字です。

私が10年前に法科大学院に一期生で入った時に言われていた数字とは大違い(>_<) しかし、社会の側からみれば法曹の数がそこまでいるか?、数を絞り質を担保したい、という声もききます。 私は、仕事しながら勉強できた昔の制度にもどしたら、と個人的には思います。 毎年同じことを書いている気もしますf^_^;
司法試験合格者239人減 合格率は過去最低の22.6%
2014.9.9 16:02 産経

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法務省前に掲示された司法試験の合格者番号を見て喜ぶ男性=9日午後

 法務省は9日、平成26年司法試験に昨年より239人少ない1810人が合格したと発表した。合格率は4.2ポイント減少し22.6%。現行の司法試験が始まった18年以降で最低だった。合格者数が2千人を割り込んだのは18年以来8年ぶり。政府は司法試験合格者3千人を計画していたが、すでに撤回している。

 合格率の上位校は、(1)京都大53.1%(合格者130人)(2)東大52.0%(158人)(3)一橋大47.1%(64人)(4)慶応大44.6%(150人)(5)大阪大40.2%(55人)。一方、愛知学院大、神奈川大のほか、島根大(募集停止)、姫路獨協大(廃止)は合格者がいなかった。

 合格者の内訳は、男性が1402人、女性が408人。平均年齢は28.2歳で、最年長は65歳、最年少は22歳だった。

 大学で法律を学んでいない人が中心の未修者コース(3年)修了者の合格率は12.1%、既修者コース(2年)は32.8%で、前年より若干差が縮まった。

 一方、法科大学院を修了せずに受験資格を得た予備試験通過者については、前年より43人多い163人が合格。合格率は66.8%となり、昨年より5.1ポイント減。予備試験通過者は24年から司法試験を受けているが、合格者数は最多、合格率は最低となった。

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大分県教組「慰安婦ツアー」問題

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今回はたまたま県教祖がツアーを組んでいたから新聞ニュースになってますが、

学校単位の修学旅行なら今回のようなチェックは入りません。

一度全国の高校の修学旅行なども見直す必要があるかもしれません。

「日本軍『慰安婦』歴史館」などもいってる学校ないですか?

ちなみに「教育者の地位や信頼を利用した卑劣な政治プロパガンダだ」と訴えた倉掛議員はこの方

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大分県教組「慰安婦ツアー」問題 市教育長「大変遺憾」と見直し申し入れ
2014.9.8 22:40 [教育]産経

 大分県教職員組合が旅行業法に基づく登録をせず、新聞広告で「慰安婦」関連施設を見学する韓国旅行を募集していた問題で、大分市教育委員会の足立一馬教育長は8日の定例市議会本会議で「大変遺憾」と述べ、来年度以降は見直すよう県教組に申し入れたことを明らかにした。

 倉掛賢裕市議(自民)の一般質問に答えた。

 足立氏は県教組の違法行為について「教職員は公務員として法令を遵守する身分であり、児童生徒や保護者、市民の信用を損なうことがあってはならない」と述べた。その上で、7月25日に県教組大分支部に対し、来年度以降の見直しを口頭で申し入れたが、県教組から返答はないと説明した。

 倉掛氏は、県教組の韓国旅行に「日本軍『慰安婦』歴史館」などが含まれていることから「教育者の地位や信頼を利用した卑劣な政治プロパガンダだ」と指摘。市立小中学校の教職員向けに、旅行に参加しないよう求める文書の配布を求めた。足立氏は「考えていきたい」と応じた。

 韓国旅行は県教組が主催し毎年夏休みを利用して、県内の中学生と保護者を対象に格安で募集している。大分航空トラベル(大分市)が手配していたが、2年前から申し込みの受け付けや旅行代金の徴収などを県教組が行っていたことが発覚した。

 産経新聞が7月22日付朝刊でこの問題を報じ、翌日には観光庁が改善するよう指導する方針を示した。だが、県教組は同月25日から予定通り2泊3日の韓国旅行を実施した。

助成金まで出し格安「反日」 大分県教組の「慰安婦ツアー」、交流目的で歴史館など見学

2014.7.22 12:18 「慰安婦」問題]産経

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大分県教職員組合が大分合同新聞に掲載した広告

 大分県教職員組合(県教組、大分市)が法に反し、韓国の「慰安婦」関連施設などを見学する旅行を募集していたことが明らかになった。その“反日教育ツアー”は、県教組が助成金を出し、親子2人が2泊で2万5千円という破格の旅行代金が売りだった。

「親子1組(2人)2万5千円で30組を募集!」

 地元紙の大分合同新聞に掲載された2泊3日の「親子で学ぶ韓国平和の旅」の募集広告には、旅行代金が太字で強調されていた。一般の格安ツアーをはるかに下回る料金設定。これは「金額は明かせないが、うちが助成金を出しているため」(県教組担当者)だ。

 県教組によると、「韓国平和の旅」は県教組独自の平和事業の一環で、今回が12回目だという。新聞広告で申し込みを受け付け、代金徴収も行うようになったのは2年前からだといい、今回を含めて少なくとも3回は違法行為を重ねていたことになる。

 かつて旅行団長を務めたこともある県教組の岡部勝也書記長は「韓国の中学生との交流がメーンで、それもスポーツや芸能の話題が多い」と話すが、広告に書かれた通り、「日本軍『慰安婦』歴史館」や、反日運動家らの監獄として使用された「西大門刑務所跡」なども訪問する。そこでは、現地ガイドから、韓国側の主張に沿った一方的な説明を受けるのだという。

 日本軍「慰安婦」歴史館には、平成5年の河野洋平官房長官談話発表を「慰安婦『強制』認め謝罪」と報じた朝日新聞のコピーなど多くの慰安婦関連資料が展示されている。

 だが強制連行説の最大の論拠だった河野談話については、6月に公表された政府の談話作成過程検討チームの報告書で、元慰安婦への聞き取り調査終了前に談話の原案を作成したことや、裏付け調査を実施しなかったことなどが指摘され、「強制連行を直接示す資料はない」との政府見解が再確認されたばかりだ。

 今回は広告を出した後、初めて10件以上、抗議電話があったという。岡部書記長は「反日や自虐史観を植え付ける旅行ではなく、日本の加害行為に向き合い、平和を模索する目的だ」と強調。「修学旅行として行くなら控えるが、希望する親と子が行く旅行なので問題ないと考える」と話す。

 だが明星大の高橋史朗教授(教育学)は「慰安婦問題は国内的には決着がついた議論」とした上で「歴史教育については、義務教育の段階では自国の立場を教えるのが基本だが、旅行は極めて反日的で、韓国側の立場を学ばせるもので教育上不適切だ」と批判する。

 県内の元小学校長(61)は「県教組はこれまでに何度も不祥事を起こしており、自浄能力がなさすぎる」と指摘した。

            ◇             

【用語解説】大分県教職員組合

日本教職員組合傘下で、加入率(小中学校)が60%を超え、全国有数の「日教組王国」として知られる。平成13年には、「日本戦犯裁判」や「南京大虐殺」を載せた「平和カレンダー」を作製し、小中学校に掲げていたことが「偏向的」と批判されて撤去された。

同年には、特定の中学歴史・公民教科書の採択阻止を求める全面広告を大分合同新聞に掲載したことも、「採択の公正さを損なう」と批判された。20年には教員採用をめぐる汚職事件が表面化。県教組出身の県教委幹部や小学校長ら8人が有罪判決を受け、確定している。

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3発目の原爆を落とされたくなかったら・・・

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今日の午後は22本CGSの収録です。

長谷川三千子先生には、憲法をテーマにお話を頂きました。

憲法改正が議論される今日。

憲法とは何か?
なぜ変えなければならないか?

わかりやすく、
来週から五回にわたってお送りします。

以下の記事の事実もしっかりみなさんにおさえて頂きたく思います。

平成26年9月7日(日)産經新聞東京版

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テレビCMにつられたわけじゃないんです

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8月から新しいスタッフが事務所に入り、

事務所の仕事の役割分担が変わりつつあります。

さらに、今まで手がつけられてなかったIT関係の業務改善もマンパワーが増えた機会にいろいろ進めています。

パソコンの買い替えやフェイスブックのファンページ化、10以上管理しているITツールの整理統合などなど、

飛び回る私にはできなかったことをこのタイミングで。

そして、もう一つかなり業務効率化になったのが名刺管理。

最近、多い時には月に100枚も増える名刺管理が大変で困っていたので、

導入しました。

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テレビCMでも話題のSANSANの名刺管理サービス。

くれぐれも確認しますが、
テレビCMにつられたわけじゃないんです。

つられたわけじゃないんです。

スキャンしてデータを送れば、
後はスマホからクラウド上で名刺が検索でき、ワンタッチで電話やメールがおくれます。

今まではいちいち事務所スタッフにメールで確認していたのに、この簡易さは素晴らしい。

これでスマホさえあれば、私は6000人以上の方と繋がれます。

IT技術はどんどん活用し、デキるビジネスマンではなく、デキる政治家を目指しますf^_^;

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占領期、3年超の機密往復書簡が発見

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CGSの番組でもやりましたが、

今の日本を考えるのに、占領期の政治を検証することは非常に大切なことです。

50年経てば公文書もでてきますから、
当時のやりとりをみながら、
今に当てはめるといろいろなことが類推できます。

占領期、3年超の機密往復書簡が発見…警察予備隊「同意」を伝達
2014.9.7 06:37

■アイケルバーガー中将×鈴木九萬公使

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アイケルバーガー中将からの返書の写し。「吉田総理へ転達」との書き込みも

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横浜終戦連絡事務局長時代の鈴木九萬公使(遺族提供)

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ロバート・アイケルバーガー中将(鈴木氏の遺族提供)

 戦後、横浜終戦連絡事務局長として占領軍との折衝にあたった鈴木九萬(ただかつ)公使が、米第8軍司令官として占領軍でマッカーサー連合国軍最高司令官に次ぐ地位にあったロバート・アイケルバーガー中将と交わした往復書簡の写し約100通が発見された。鈴木氏個人が保存していたもので、中将の帰国後約3年8カ月にわたって講和後の安全保障をめぐる日本側の意向などを詳細に報告していた。占領期の隠れた対米チャンネルの解明につながる史料といえそうだ。(渡辺浩生)

 往復書簡は、横浜を司令部に全国の占領軍を指揮した中将が離任・帰国した昭和23年8月に始まり、サンフランシスコ講和条約発効を翌月に控えた27年3月まで続いた。同封された中将の発言を報じる新聞記事や「機密」としたメモ類を含めて約400ページに及ぶ。

 遺族が大阪経済法科大学の内海愛子特任教授に寄贈した鈴木氏の関連文書から見つかった。書簡の一部は、アイケルバーガー氏の文書を保存する米デューク大にも残されているが、全文がまとめて明らかになったのは初めて。

■「吉田首相は、警察力強化に全面的に同意する」

 注目されるのは、自衛隊の前身、警察予備隊創設など安保構想を先取りするやりとりがあることだ。中将は米国内での講演を通じて、共産主義者による騒乱に対処するため約15万人規模の警察軍創設を主張。24年3月には陸軍省顧問に就任、首脳らにも進言した。

 鈴木氏は23年11月23日付で、同年4月に大阪や神戸で発生した在日朝鮮人による騒乱事件を例に「現行の警察力ではそのような事態に十分対処できない」という吉田茂首相の不安を記し、「彼(首相)は、日本の警察力を強化すべきだというあなたの見解に全面的に同意する」と伝えた。

 当時、マッカーサー元帥は「非軍事化」の占領方針に反するなどとして警察軍創設案に反対だったが、陸軍省でも検討が進められ、25年7月、朝鮮戦争への駐日米軍投入で生じる軍事的空白を埋めるため元帥自ら7万5千人の警察予備隊創設を指令するに至った。

■「国民は米国による防衛を望んでいる」

鈴木氏はまた、講和後の安全保障に関する日本側の認識を問う中将に25年4月18日付で機密メモを送付。「国民の大多数は米国による防衛を望んでいる」と米軍駐留への世論の支持を伝えた。鈴木氏の残したメモには、事前に吉田首相や西村熊雄条約局長に相談したとの記述がある。

一方、中将は「米国には日本の助けが必要であり、両国の安全は切り離せない」(同8月25日付)という吉田首相宛てメッセージを託した。翌年1月の講和交渉開始を控えて、再軍備に慎重姿勢の首相に自衛努力を促したとみられ、鈴木氏は翌月「首相に伝えた」と報告した。(肩書は当時)

               ◇

大阪、神戸の朝鮮人騒乱事件
「朝鮮人学校閉鎖」の文部省通達に反対する朝鮮人ら約7千人のデモが昭和23年4月24日、大阪府庁を包囲し一部が暴徒化。神戸でも朝鮮人らの集団が兵庫県庁に押しかけ、岸田幸雄知事らを軟禁し閉鎖の撤回を要求。翌25日、神戸地区の占領軍が非常事態を宣言。検挙者には日本共産党員もいた。現場に急行したアイケルバーガー中将は「不法行為」と非難声明を出した。

鈴木九萬
明治28年茨城県生まれ。東大法学部卒。大正10年外務省入省。昭和12年宮内省御用掛(昭和天皇の通訳)。15年駐エジプト公使。日米開戦で9カ月の抑留生活を送り、17年交換船で帰国。20年横浜終戦連絡事務局長。GHQ(連合国軍総司令部)から直接軍政・軍事裁判所設置・米軍B円軍票発行の布告を事前入手しその阻止に貢献。駐豪大使、駐伊大使を歴任し36年退官。62年死去。

ロバート・アイケルバーガー(1886~1961年) 1942(昭和17)年以降、米陸軍第1軍団司令官、第8軍司令官としてニューギニアなど南西太平洋諸島、フィリピンでの対日戦を指揮。45年8月横浜に進駐し、本土の各地に展開した占領軍を指揮した。48年離任・帰国後は講演や執筆を通じ、日本の再軍備を主張した。49~50年ヴォルヒーズ陸軍次官の対日顧問。54年大将に昇任。

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