今日は少し夏休みに入っていた古谷さんと、
CGSの番組「第四会議室」を収録してきました。
赤旗でも取り消された吉田証言を皮切りに、
消費税や社会保障、ダイエットまでかなり突っ込んだ議論をしてきました。
下記の記事に対応するような話もありました!
配信をお楽しみに。
平成26年9月29日(月)産経新聞東京版
2014年9月27日(土)
歴史を偽造するものは誰か
――「河野談話」否定論と日本軍「慰安婦」問題の核心
「吉田証言」が虚偽だったことを利用した「河野談話」攻撃の大キャンペーン
朝日新聞は8月5、6日付で掲載した「慰安婦問題を考える」と題した報道検証特集で「吉田(清治)氏が(韓国)済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します」と訂正しました。これをきっかけに、一部右派メディアと過去の侵略戦争を肯定・美化する「靖国」派の政治勢力が一体となって、異常な「朝日」バッシングが続けられています。見過ごせないのは、その攻撃の矛先が、「慰安婦」問題で日本軍の関与と強制性を認め、謝罪を表明した河野洋平官房長官談話(1993年8月4日――以下「河野談話」)に向けられていることです。
それは、「吉田証言」が虚偽であった以上、「河野洋平官房長官談話などにおける、慰安婦が強制連行されたとの主張の根幹は、もはや崩れた」(「産経」8月6日付主張)というものです。「靖国」派議員の集団である自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」は8月15日に緊急総会を開き、「河野談話の根拠が揺らいだ」などとして、萩生田光一・同会幹事長代行(自民党総裁特別補佐)が「(河野談話を否定する)新しい談話が出てきてもいい」などと発言しています。8月26日には、自民党の高市早苗政調会長(当時)が「河野談話」に代わる「新たな内閣官房長官談話」を出すよう菅義偉官房長官に申し入れています。「河野談話」否定派からは、「河野談話の取り消しなくしてぬれぎぬは晴らせない。潰すべき本丸は河野談話なのである」(ジャーナリストの桜井よしこ氏、「産経」9月1日付)と、本音があからさまに語られています。
「河野談話」を攻撃するキャンペーンは、これまでも繰り返し行われてきました。それがどのような特徴をもっているのか、歴史の真実と国際的道理に照らしていかに成り立たない議論であるかについては、すでに日本共産党の志位和夫委員長が今年3月14日に発表した見解「歴史の偽造は許されない―『河野談話』と日本軍『慰安婦』問題の真実」(以下、「志位見解」)で全面的に明らかにされています。「志位見解」は、「河野談話」の作成過程と、日本の司法による事実認定の両面から、「談話」の真実性を明らかにしつつ、「河野談話」否定論について、「歴史を偽造し、日本軍『慰安婦』問題という重大な戦争犯罪をおかした勢力を免罪しようというものにほかなりません」と批判しました。
ここでは、「志位見解」を踏まえて、「吉田証言」取り消しに乗じた「河野談話」攻撃に反論するとともに、それを通じて日本軍「慰安婦」問題の核心がどこにあるのかを、改めて明らかにするものです。
「河野談話」は「吉田証言」を根拠にせず――作成当事者が証言
第一に、「河野談話」否定派は、「吉田証言が崩れたので河野談話の根拠は崩れた」などといっていますが、「河野談話」は、「吉田証言」なるものをまったく根拠にしていないということです。
「吉田証言」とは、1942年から3年間、「山口県労務報国会」の動員部長を務めたとする吉田氏が、1943年5月に西部軍の命令書を受けて、韓国・済州島で暴力的に若い女性を強制連行し、「慰安婦」とした(いわゆる「慰安婦狩り」)とする「証言」です。この「証言」は、1982年に「朝日」が初めて報じて以来、同紙が16回にわたって取り上げ、「慰安婦」問題が政治問題に浮上した90年代前半には他の全国紙も連載企画や一般の報道記事のなかで伝えました。「しんぶん赤旗」は92年から93年にかけて、吉田氏の「証言」や著書を3回とりあげました。
この「吉田証言」については、秦郁彦氏(歴史研究家)が92年に現地を調査し、これを否定する証言しかでてこなかったことを明らかにしました(「産経」92年4月30日付)。また、「慰安婦」問題に取り組んできた吉見義明中央大教授は、93年5月に吉田氏と面談し、反論や資料の公開を求めましたが、吉田氏が応じず、「回想には日時や場所を変えた場合もある」とのべたことなどから、「吉田さんのこの回想は証言としては使えないと確認する」(『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』97年6月出版)としました。
「吉田証言」の信ぴょう性に疑義があるとの見方が専門家の間で強まり、一方で元「慰安婦」の実名での告発や政府関係資料の公開などによって、「慰安婦」問題の実態が次々に明らかになるなかで、日本軍「慰安婦」問題の真相究明のうえで、「吉田証言」自身が問題にされない状況がうまれていたのです。
そうした状況のなかで、93年8月に発表された「河野談話」は、その作成の過程で、「吉田証言」をどのように扱ったのでしょうか。問題の核心はここにあります。この点で、9月11日に放映されたテレビ朝日系「報道ステーション」の「慰安婦」問題検証特集は、当時、官房副長官として「河野談話」作成に直接かかわった石原信雄氏の注目すべき証言を紹介しました。
そこで石原氏は、「吉田証言」について「あれはこう、なんていうか、眉唾(まゆつば)もんだというふうな議論はしていましたね、当時から」とのべ、日本政府として「吉田証言」をはなから問題にしていなかったことを明らかにしました。
そのうえで石原氏は、「吉田証言をベースにして韓国側と議論したということは、私はありません」「繰り返し申しますが、河野談話の作成の過程で吉田証言を直接根拠にして強制性を認定したものではない」と明言しました。
実際、当時、日本政府は吉田氏をヒアリングの対象にしましたが、証言は採用しませんでした。番組では、当時調査にあたった担当者に取材し、「私たちは吉田さんに実際会いました。しかし、信ぴょう性がなく、
とても話にならないと。まったく相手にしませんでした」という証言も紹介しています。
石原氏が断言するように、「河野談話」はもともと「吉田証言」を根拠にしていないのですから、「吉田証言が崩れたから河野談話の根拠もなくなった」などという議論は成り立つ余地などないのです。
元「慰安婦」の証言から強制性を認定――「河野談話」の正当性は揺るがない
それでは、「河野談話」は、何をもって、「慰安婦」とされた過程に強制性があったと認定したのでしょうか。その点で、前出の石原元官房副長官が、同じテレビ番組で、元「慰安婦」の証言によって、「慰安婦」とされた過程での強制性を認定したとあらためて証言したことは重要です。
石原氏は、強制的に「慰安婦」とされたことを立証する日本側の公文書が見つからなかったもとで、韓国の16人の元「慰安婦」からの聞き取り調査をした経過を次のように説明しました。
「政府としては、その(女性の)意に反する形で慰安婦を募集したということがあったのかないのか、これは非常に重大な問題ですから、再度全省庁を督励して当時の戦中の資料の発掘調査を行った」
「慰安所の運営につきまして深く政府が関わっておった」「輸送について安全を図ってほしいとか、あるいは慰安所の運営について衛生管理あるいは治安の維持をしっかり頼むという趣旨の文書は出てきた」
「(募集にあたっての強制性を裏付ける資料は出てこなかったため)当事者(元『慰安婦』)の話を聞いて、その話の心証から、強制性の有無を判定することが必要だと決断した」
そして、石原氏は、元「慰安婦」からの聞き取りを行った結果、「募集の過程で、かなり強引な募集が行われたことがあったようです。結果的に脅かされたとか、だまされたとか、あるいは当時の官憲ですね、まあ巡査なんかが関わってかなり強制的に慰安婦に応募させられたという人がいることが証言から否定できないということになりました」と明らかにしています。
今年3月の「志位見解」は、「河野談話」作成にいたる経過を検証し、強制的に「慰安婦」にされたことを立証する日本側の公文書がみつからないもとで、強制性を検証するために元「慰安婦」の聞き取り調査を行い、他の証言記録や資料も参照したうえで、日本政府が「慰安所」における強制使役とともに、「慰安婦」とされた過程にも強制性があったことは間違いないという判断をするに至ったことを、当時の河野官房長官らの証言によって明らかにしました。そのことが、当時、官房副長官だった石原氏の証言によってあらためて裏付けられたのです。
「志位見解」が明らかにしているように、そもそも強制的に「慰安婦」とされたことを立証する日本側の公文書が見つからなかったことは、不思議でもなんでもありません。当時から、拉致や誘拐などの行為は、国内法でも国際法でも明々白々な犯罪行為でしたから、それを命令する公文書などを作成するはずがないからです。また、日本政府と軍は敗戦を迎える中で、みずからの戦争責任を回避するため重要文書を焼却し証拠隠滅をはかったとされています。
被害者の証言は「被害者でなければ語りえない経験」(河野氏)であり、もっとも重要な証拠です。それに基づいて「河野談話」が、「慰安婦」とされる過程で強制性が存在したと認定したことは公正で正当なものでした。
「河野談話」の正当性は、いささかも揺るがないものであることは、これらの経過に照らしても明らかです。
日本軍「慰安婦」問題の本質を覆い隠す、問題の二重の矮小化は通用しない
「河野談話」否定派による、「吉田証言が虚偽だったので河野談話は崩れた」とする議論の根本には、「『強制連行の有無』が慰安婦問題の本質である」(「読売」8月6日付社説)と、「慰安婦」問題を「強制連行」の有無に矮小(わいしょう)化することで、その全体像と本質を覆い隠そうという立場があります。
「河野談話」が認定した事実は、(1)日本軍「慰安所」と「慰安婦」の存在、(2)「慰安所」の設置、管理等への軍の関与、(3)「慰安婦」とされる過程が「本人たちの意思に反して」いた=強制性があったこと、(4)「慰安所」における強制性=強制使役の下におかれたこと、(5)日本を別にすれば、多数が日本の植民地の朝鮮半島出身者だった。募集、移送、管理等は「本人たちの意思に反して行われた」=強制性があったこと―の5点です。
このうち「談話」否定派が否定しようとしているのは、「もっぱら第3の事実――『慰安婦』とされる過程が『本人たちの意思に反していた』=強制性があったという一点にしぼられています」(「志位見解」)。
ここには、日本軍「慰安婦」問題の二重の矮小化があります。
第一に、「河野談話」否定派は、「慰安所」における強制使役=性奴隷状態とされたという事実を無視して、「慰安婦」とされた過程で「強制連行」があったかなかったかだけに、問題を矮小化しています。こうした攻撃の手口そのものが、日本軍「慰安婦」問題の本質をとらえない、一面的なものであることは、すでに「志位見解」が次のようにきびしく批判しています。
「女性たちがどんな形で来たにせよ、それがかりに本人の意思で来たにせよ、強制で連れて来られたにせよ、一たび日本軍『慰安所』に入れば監禁拘束され強制使役の下におかれた――自由のない生活を強いられ、強制的に兵士の性の相手をさせられた――性奴隷状態とされたという事実は、多数の被害者の証言とともに、旧日本軍の公文書などに照らしても動かすことができない事実です。それは、『河野談話』が、『慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった』と認めている通りのものでした。この事実に対しては、『河野談話』見直し派は、口を閉ざし、語ろうとしません。しかし、この事実こそ、『軍性奴隷制』として世界からきびしく批判されている、日本軍『慰安婦』制度の最大の問題であることを、まず強調しなくてはなりません」
第二は、そのうえで、「河野談話」否定派は、「慰安婦」とされた過程における強制性についても、「官憲による人さらいのような強制連行」があったか否かに問題を矮小化しています。
安倍首相は「家に乗り込んでいって強引に連れて行ったのか」(衆議院予算委員会、2006年10月6日)どうかを問題にして、そんな事例はないと繰り返してきました。首相は、「人さらい」のような「強制連行」だけをことさらに問題にしま