日々の活動やニュースに対する考え、視察の報告などをブログにまとめています。

メイン画像
神谷宗幣 (かみやソウヘイ)

ブログの記事一覧

藤井浩人 美濃加茂市長の件 続報 その5

ブログ |

今日は、我々友人が書いた寄せ書きが藤井市長に届いたと連絡がありました。

大変喜んでくれたようで、
本人に代わり弁護士が藤井市長のフェイスブックから情報配信することが決まったようです。

フェイスブックから
「藤井浩人」で検索して下さい。

また、方々で藤井市長を応援する動きもでてきました。

早期釈放を求める署名サイトはこちら

https://www.change.org/ja/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%B3/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%9C%B0%E6%96%B9%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80-%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%9C%B0%E6%96%B9%E6%A4%9C%E5%AF%9F%E5%BA%81-%E7%BE%8E%E6%BF%83%E5%8A%A0%E8%8C%82-%E8%97%A4%E4%BA%95%E5%B8%82%E9%95%B7-%E6%97%A9%E6%9C%9F%E9%87%88%E6%94%BE%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%82%8B%E5%A3%B0%E3%82%92%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80%E3%81%AB%E5%B1%8A%E3%81%91%E3%81%BE%E3%81%99-2

『政治とカネ』を改めて問うための事件だそうです。

愛知県警には、大阪の吹田市も飛び地で管轄して欲しかったです。

photo:01


iPhoneからの投稿

戦争の回顧録

ブログ |

戦争を経験された方々がこうして回顧録を書いて頂くことは非常に有難い。

いいことも悪いこともご自身の経験を伝えて頂きたい。

今回のように英語で書いてもらえたらなおさら有難い。

おそらくこれからも日本は敗戦国としていろいろなプロパガンダをしかけられます。

その時に、我々が頼れるのは、当時を生きた方の誠実なメッセージです。

90歳の元海軍少尉
英語で回顧録 カミカゼ志願は命令でなかった

産経新聞 6月29日(日)7時55分配信

 学徒出陣して海軍飛行科予備士官となり、特攻隊の募集に「望」と答えた90歳の元海軍少尉が、英語で「カミカゼと日本文化 回顧と再評価」と題する草稿をまとめた。「特攻志願は“命令”ではなかった」と強調する元少尉は、「カミカゼ」を民間人も標的にする現代の狂信的な「自爆テロ」の源流だと認識しがちな外国人に特攻隊の本質を理解してもらおうと健筆を振るった。(岡部伸)

■熱望・望・否の3択

 草稿をまとめたのは、メキシコ南バハ・カリフォルニア州ラパス在住の渡辺啓三郎さん(90)。

 渡辺さんは、昭和18年12月、学徒出陣して広島県の大竹海兵団に入団。19年2月に第1期海軍飛行専修予備生徒として三重航空隊に入隊した。

 約3カ月間、飛行訓練を受けながら適性検査を受け、ナビゲーションを担当する偵察士要員となった。鈴鹿航空隊に転属し、同年5月から約半年間、偵察士としての訓練を終えた同年11月ごろ、上官から特攻隊に志願する意思があるかどうか紙に書くように命じられた。制限時間5分以内に「熱望」「望」「否」の3択から選ぶというもので、返事をしない選択肢はなかった。渡辺さんは、迷わず、「望」を選択した。

 しかし、配属されたのは無線兵器(戦闘機電話・電波探信儀)の整備員を養成する藤沢航空隊だった。選抜で書いた「望」は「熱望」につながると考え、命令が来れば、いつでも特攻として出撃すると覚悟してレーダーの実験飛行などを続けたが、終戦となった。

 選抜で「望」としながら前線の実施部隊に派遣されなかったことを疑問に感じていたが、特攻隊として、前線に配属されたのは「熱望」と答えた者だったことを戦後知った。実際、特攻隊として南の空に散った同期生はいずれも「熱望」と答えていた。20人いた同じ班で「熱望」と書いた3人が出撃しながら3人とも飛行機故障などで生還した。

 大多数が「望」と回答した中で、「否」と書いた者もいた。上官から呼び出されたが、「故郷の村で唯一の大学卒業生なので生きて帰りたい」と伝えると、容認され、罰則を受けることはなかった。

■日本文化そのもの

 終戦後、31歳で貿易商社を立ち上げ、「カミカゼ・サバイバル」のビジネスマンとして戦後を生き抜いた渡辺さんは、特攻の選抜について「俗説のような命令による強制ではなく、忠臣蔵の四十七士のように自発的に窮地の祖国に尽くそうとする各人の意思を重んずるかたちで行われた。和を重んずる日本文化そのものだ」と語る。

 また敗戦後にインドネシアで2千人以上の残留日本軍兵士が独立戦争に関わったことなどをあげて、「アジアの白人支配からの解放も目的の一つだった」と述べ、英語で脱稿した回顧録を上梓(じょうし)する出版社を探している。

photo:01


photo:02


iPhoneからの投稿

第3回 G1東松龍盛塾 in 横須賀

ブログ |

昨日から二日間、塾の運営で横須賀でした。

一日目

午前中は倉山満氏に、
憲法改正や歴史問題の解決のためには、
国際的視点と歴史的視点を持つことの重要性を例を挙げてお話頂きました。

photo:06



お昼は横須賀海軍カレーをf^_^;

photo:07



午後は、グロービス経営大学院の村尾佳子氏から、マーケティングの講義を頂きました。

photo:08



一つ一つはどれも当たり前の話なんですが、整理して説明頂くことで、企業の方の思考パターンが理解できましたし、

我々が選挙の分析をするにも十分に使える手法でした。

photo:09


photo:10


夕方からは、吉田横須賀市長、グロービス堀代表、ドットJP佐藤代表にお越し頂き、

人材活用をテーマにお話をきき、塾生と意見交換。

photo:11



クローズな場のトークで、それぞれにかなりコアな話や、突っ込んだアドバイスを頂きました。

夜は吉田横須賀市長を囲んで食事会。
同世代の首長の考えがよくわかりました!

photo:12



さらにホテルでは、夜ゼミ。
それぞれの行動理念や活動計画を発表しあいました。

photo:13


二日目

朝比奈塾長からの講義。

photo:14



テーマは、政治思想、経済思想、東洋思想。

三時間で学ぶにはあまりにも情報量があり過ぎますが、それぞれの思想を学ぶための概論を示して頂きました。

photo:15



たった二日間で、
憲法、歴史、マーケティング、リーダー論、マネージメント、思想概論を教わり、明らかに消化不良ですが、

参加者はそれぞれに課題を持ちかえってもらえたと思います。

次回は10月に関西で開催です。

iPhoneからの投稿

藤井浩人 美濃加茂市長の件 続報 その4

ブログ |

本人の皆さんへの気持ちです。

photo:01


iPhoneからの投稿

藤井浩人 美濃加茂市長の件 続報その3

ブログ |

今日も一日自分の仕事をして、
ホテルに戻り、藤井市長の事件の進捗や関連記事をチェック。

地元の記事を全部チェックして送ってくださる方がいて感謝です。

今日もまたいろいろ記事が書かれていますが、

また中日新聞が一番酷い。

もう転載する気もしません。

photo:01


記事は、

1.藤井市長が、政治活動のお金がないと口にしていた。

2.金を渡していたとされる人が、市長選挙を口実に金を集めていた。

3.金を渡していたとされる人が、美濃加茂市と組んで事業をすると口にしていた。

と書いて、

最後に、市長が市への働きかけの見返りにお金を受け取った容疑で逮捕されている、

とまとめています。

ある意味素晴らしいプロパガンダです。

どれも嘘ではなさそうなものを上手くつなげて、印象操作をしています。

藤井市長が市議時代に活動費がなくて、しんどかったのは本当かも知れません。

私も市議の決めらた歳費の中で活動費がなくなり、事務所の家賃やスタッフの給与が払えなくなりそうな活動でしたから、

藤井氏と二人で『こんな経済状態じゃ、なかなか結婚もできないね』と話していましたし、

私も人から聞かれたら活動費がありません、と答えてました。

一所懸命活動する地方議員はみんなお金がなくて、私も仲間の政治家から借りたり、貸したりしてやりくりしてきました。

皆さんが思う以上に、政治家はお金がないんです。

また、お金を渡したと証言するNさんが、市長選挙を口実にお金を借りていたのも本当かもしれません。

人の選挙をだしに使い、お金を集めて着服するような人を我々は『選挙ゴロ』と呼びます。

選挙をやったことのある人なら、そんな輩が寄ってくるのを良くご存知のはず。

私にもかつて何人か寄ってきました(>_<) N氏の会社は経営が苦しかったようですから、藤井 氏の選挙を口実にお金集めて、流用していた可能性が高いと私は推測します。 ホテル代も払えないくらいだったみたいですし。 そんな自転車操業の中で、人のいい藤井市長が無料の実験ならいいですよ、 と気軽に設置に応じたものだから、 N氏からしたら、天の助けと言わんばかり、経営に不安を感じる従業員や取り引き先に、美濃加茂市との連携などという話を吹いていたのかもしれません。 これは市職員の話ではなく、あくまでN氏側の人間の話であるところがポイントです。
後半の二つは推測ですが、
そう考えると中日新聞の記事は嘘ではないわけです。

上手く書くなと思いつつ、
酷い話だと呆れます。

自らこんな記事を読んで、気を滅入らせている自分も馬鹿馬鹿しいですが、

藤井市長を信じる人たちが不安にならないように書きました。

そんな一日の最後に癒されるブログを発見。

『司法記者』早速注文しました。

郷原信郎が斬る 6月27日

全国最年少市長の「潔白を晴らす」

全国最年少の藤井浩人美濃加茂市長が市議時代に業者から30万円を受け取ったとされている事件で、弁護人を受任し、名古屋地検の接見室で藤井氏と接見した際、最後に交わしたのが「頑張って、潔白を晴らしていきましょう。」という言葉だった。

その直後に、名古屋市内で行った記者会見でも、私は、「潔白を晴らしたい」という言葉を何度も口にし、翌日の新聞記事にも、そのまま引用された。

この「潔白を晴らす」という言葉、日本語的には若干おかしい。正しくは、「潔白を明らかにする」か「疑いを晴らす」だろう。

しかし、接見の最後で藤井氏にかけた言葉が「潔白を晴らす」だったことは間違いないし、今も、藤井氏がやるべきこと、そして、私が弁護人として行おうとしていることにぴったり当てはまる言葉は、「潔白を晴らす」なのである。

藤井氏は6月24日に収賄の容疑で警察に逮捕され、検察は26日に勾留請求し、裁判所も勾留を決定した。その疑いを晴らすために一般的に必要なことは、本人が、そして、弁護人の我々が、潔白を「明らかにしていくこと」「証明すること」だ。

警察、検察に犯罪の容疑をかけられ、逮捕までされた人物は、まず犯罪者だと考えて間違いなく、その疑いを晴らすためには、「潔白であること」つまり、本来間違いはないはずの警察や検察の認定が誤っているという「例外的な事例」であることを、本人や弁護人が「証明しなければならい」というのが、世間の一般的な認識であろう。

しかし、私には、接見室で、仕切り板を隔てて座っている若き市長の姿、表情を見て、そして、彼の「私は絶対に現金など受け取っていません。」とはっきり言い切る言葉を聞いて、その疑いを晴らすための「証明」などという大仰なことが求められているとは思えなかった。

警察の何かの見立て違い、誤解が重なり、その誤りを正す警察組織内のシステムが機能せず、そして、そのような警察捜査の暴走の抑制する立場にある検察が本来の役割を果たかったために、若き市長の周りに「収賄の疑い」が、どんよりと雲のように漂っているだけであり、我々がやるべきことは一刻も早くその雲を「晴らしてしまうこと」だ、としか思えなかったのだ。

その瞬間に、私の口から自然に出たのが「潔白を晴らす」という言葉だった。「潔白」は当然のことであり、我々が行うべきことは、その「潔白」を覆い隠そうとしている雲を吹き飛ばし、彼の「潔白」が「晴れわたった空」のように、誰にもはっきりと見えるようにすることだ。そういう私の思いは、「潔白を明らかにする」という「正しい日本語」では表現できなかった。

それから2日、多くの情報提供を受けたこともあり、私の頭の中では、彼の「潔白」はますます明白なものになりつつある。警察捜査が、どうしてこのように誤った方向に向かってしまったのか、検察がなぜ、それを止めることができなかったのか。その経緯と構図も、少しずつわかってきたように思える。

私が由良秀之のペンネームで書いた推理小説「司法記者」、とそれを原作とするWOWOW連続ドラマ「トクソウ」(今年5月11日から5回連続で放映)では、特捜捜査の暴走と、それと癒着し、それを煽っていく司法マスコミの関係を描いている。ここで出てくる検察捜査の暴走のプロセスと、今回の