2013.11.26(火) 樋口 譲次
今さらながら、驚かされることがある。東京大学の情報理工学系研究科には、「東京大学は、第2次世界大戦およびそれ以前の不幸な歴史に鑑み、一切の例外なく、軍事研究を禁止する」との内規が存在するようだ。
軍事研究を禁止している東京大学
しかも、つい最近の平成23(2011)年3月に「科学研究ガイドライン」によって定められたもので、軍事研究の禁止を明文化したのは同科だけであるが、従来「他の学部でも共通の理解だ」(東大広報課)というのである(「国民の憲法」産経新聞出版、平成25年7月3日)。
実は、このような軍事研究忌避の姿勢は、戦後日本の大学には共通したことのようであるが、東大の軍事アレルギーはその典型だ。そして、諸外国では常識的かつ組織立って行われている産官学による国家安全保障・防衛や戦略に関する共同研究を頑なに拒んでいるのである。
敗戦に伴う米国の占領政策の究極の目的は、日本の「非軍事(非武装)化と弱体化」にあった。
占領軍は、戦前・戦中の我が国を全面的に否定するとともに、戦争の責任は日本という「国」、なかでも軍・軍人にあって、日本国民は「無実で、無知な犠牲者」であるとのマインドコントロールを徹底し、国・軍と国民とを離間・対立させる構図を作り上げた。そして、執拗に「軍事・戦略=悪」の意識を定着させた。
このようにして、戦後70年近く、我が国全体に及んだ「軍事の空白」によって、国民は当然のこと、国の指導的立場にある政治家そして「学問の自由」の下、我が国の学術研究をリードすべき高等教育機関までもが軍事・戦略音痴へと陥り、その病巣は除去できないまま慢性的な症状を呈し、現在に至ってもなお我が国を蝕み続けている。
では、軍事を完全に排除して、中国の巨大な軍事力を背景とした覇権的拡張や北朝鮮の核ミサイルなどの差し迫った現実の脅威に対し、一体どのようにして我が国の生存と安全を確保しようというのであろうか――。
このような、屈折した国内事情や厳しさを増す国際安全保障環境を背景としつつ、それを克服すべく、第2次安倍内閣は「国家安全保障会議(NSC)」の設置と「国家安全保障戦略(NSS)」の策定を進めている。
「戦略なき国家」日本にも、ようやく、スマートパワーとしての戦略が芽生えつつあり、意義ある大きな一歩を踏み出そうとしているように感じられる。
国家戦略不在を露呈した前民主党政権(名ばかりの「国家戦略室」)
民主党が政権に就いた平成21(2009)年9月18日、総理直属の機関として内閣官房に国家戦略担当大臣(国務大臣)が統括する「国家戦略室」が設置された。この国家戦略室は、その後、政府の政策決定過程における政治主導の方針を確立するために、「国家戦略局」に格上げされることになっていた。
平成22(2010)年9月7日、我が国固有の領土である尖閣諸島の周辺で、中国漁船による警戒中の海上保安庁・巡視船に対する体当たり衝突事案が発生し、これに端を発する一連の事態が生起した。中国から仕掛けられた我が国の領海(領土)・主権に対する極めて意図的かつ野蛮な挑戦に対して、国民は、我が国政府による危機管理の成り行きを固唾を呑んで見守った。
しかしながら、結果は、国益を大きく損ない、国民の失望と怒りを買って、「外交上の歴史的敗北」や「外交史に長く残る汚点」との批判を招いた。民主党政権は、政治主導を高々と掲げながら、国家戦略を持ち合わせておらず、戦略的な問題解決の準備ができていないと断言せざるを得ない惨状を露呈したのであった。
政権交代とともに、国家戦略室を設置したものの、国家戦略がないのはなぜか――、この問いは多くの国民が発した素朴な疑問に違いない。そして、我が国の戦略性を高めるには一体どうしたらよいのか――、これもまた大きな課題として国民の意識を覚醒させたのではなかったろうか。
では、当時の国家戦略室は、どのような任務を帯びていたのであろうか――。
国家戦略室は、「税財政の骨格」を決め、「経済運営の基本方針」を立てることを主任務とし、その他、年金制度や社会保険・税に関わる番号制度に関する検討など内閣の重要政策に関する基本的な方針等の策定に取り組むこととされていた。