今日は視察の予定を変更し、知人の勧めで、ヤンゴンから飛行機に乗ってバガンへ。
ミャンマーのカントリーサイドも見れて、寺院なども観光できるオススメの場所とのこと。
バガンは今でこそ人口1万人程度の農村ですが、かつては王朝の都があったところで、8世紀からの仏教遺跡が集中して建つ、世界三大仏教遺跡の一つの町です。
毎年30万人の観光客がくるミャンマーの代表的名所の一つです。
まず最初に連れて行ってもらったのは、地元のマーケット。
近隣の村から農家の方が野菜などを売りにこられています。
売り子さんは女性が多く、だいたい一日の売り上げが500円くらいだそうです。
地方ではお父さんの月の稼ぎが8000円程度で、それでは家族が食べらないから家族総出で働くそうです。
ドラマおしんの世界ですね。
40年ほど前までは、お父さんの稼ぎが月300円でも、物価が安く、1人の収入で家族が養えたとか。
しかし今は、教育費もバカにならないそうです。
学校の先生の給料が月1万くらいしかなく、先生は学校ではちゃんと教えないで、家に子供たちを集めて塾を開くそうです。
その月謝がなんと3000円。
同じ話はカンボジアでも聞きました。
日本の公教育のレベルが下がったといっても、ここまでではありません。お金がないと勉強もできないんです。
1989年の軍事政権誕生以来、庶民の生活は厳しくなったと嘆いておられました。
近年市場を解放したといっても、大企業やホテル、航空会社、建築会社のオーナーはすべて軍関係者とそれに賄賂を渡してのさばる中国資本だとか。
ホテルの宿泊費は倍以上に上がっても従業員の給料はほとんど変わらないそうです。
また中国と言えば、ミャンマーと中国の国境には、ミャンマーの一部族を自称する中国人が住んでいるそうで、むかしから中国の支援を受けて反政府運動をしているようです。
日本にも同じように、反政府運動をする日本人がいるので、同じやんか!とちょっと笑えました。
また、中国は内通するミャンマー人を使いミャンマーとの国境あたりに水力発電のダムをつくる計画を立ち上げ、そこでできた電気を中国側に送ろうという狙いがあるそうです。
一度はミャンマーの軍関係者が買収され、計画が政府にとおったらしいですが、今の大統領がストップをかけ今はすすんでいません。
しかし、来年の選挙で政権が変わるとそれもどうなるか不安だそうです。
こうしたニュースは全国紙には流れません。なぜなら全国紙は政府が監督しているからで、皆さんは地域のミニコミ紙などで、政府の批判記事などを目にするそうです。
こうした話はガイドのケンさんらから聞くわけですが、このケンさんにも歴史があります。
ケンさんのおじいさんは大東亜戦争末期に日本軍に食料などを供給する仕事をしてましたが、日本軍の敗戦をもって大損をしてしまいました。
時が流れて1980年代、当時の日本軍の隊長さんがケンさんのおじいさんを訪ね、ミャンマーにやってきます。
しかし、おじいさんはもう亡くなっていて、隊長さんはおじいさんに償いができない代わりに、ケンさんを日本に招いて自分の会社で働かせてあげました。
だからケンさんは日本語も英語も話せるようになり、今はガイドで生計を立てているそうです。
おそらくミャンマーではそこそこ稼げる方なのだと思います。
ゲンさんに『ビルマに責めて来た日本軍を恨む人はいないのか?』と聞いてみました。
すると『日本人は軍規も正しく、優しかったからそんなに恨んでない。大変だったのは日本軍が連れてきた中国南方系の兵隊で、彼らは略奪やレイプなど酷いことをたくさんした。ミャンマー人はそうしたことはわかっている』と回答がありました。
私は日本軍が南方戦線に中国人を連れてきていたのを知らなかったので、また戻って調べたいと思います。
この他にも、寺院を回りながらミャンマーの歴史や小数民族の話、ミャンマーの外交関係、バガンの開発事情などいろいろなことを教わりました。
寺院見学よりそちらの話が有意義だったかもしれません。
明日から始まるJCの研修でもいろいろ学んでいきたいと思います。