2014.05.09 産経
広島県立歴史博物館(広島県福山市)は9日、8代将軍徳川吉宗が1725年ごろ(江戸時代中期)に作らせた地図「享保日本図」の基になったとみられる測量図が見つかったと発表した。鑑定した東亜大の川村博忠客員教授(日本地図史)は「享保日本図について書かれた江戸幕府の記録と地図の地名が一致しており、同時期に作られたとみて間違いない。当時の測量方法を示す貴重な資料」と評価している。測量図は博物館で13日から公開される。
広島県立歴史博物館で見つかった江戸時代の全国測量図(広島県立歴史博物館提供)
広島県立歴史博物館で見つかった江戸時代の全国測量図(広島県立歴史博物館提供)
川村客員教授や県立歴史博物館によると、測量図は縦152センチ、横336センチ、縮尺21万6000分の1で、北海道の南部から九州・種子島までの地名を記載していた。
江戸幕府は計6回、日本地図を作製。各地で書かれた絵図をつなぎ合わせていたため不正確な部分もあったが、5回目に当たる享保日本図では、和算家が指揮して測量結果をまとめ、今回見つかった図面ができあがったとみられる。
広島県立歴史博物館で見つかった江戸時代の測量図の拡大図。中央は富士山(広島県立歴史博物館提供)
広島県立歴史博物館で見つかった江戸時代の測量図の拡大図。中央は富士山(広島県立歴史博物館提供)
また、測量図の余白に肥前平戸藩(長崎県)の藩主・松浦静山の文章と印が記され、収集家として知られる静山が1785年に入手したと推測される。
文章は「徳川吉宗の時に全国に命じて作らせた。貴重なもの」との内容で、松浦史料博物館(長崎県平戸市)が本人の筆跡、印と確認した。
測量図は、広島県福山市出身の男性が10年以上前に東京都内で購入。ことし2月、測量図を含む古地図などを広島県立歴史博物館に寄託し、学芸員が調査していた。
見つかった江戸時代の測量図に記されていた、松浦静山の文章と印(右下)(広島県立歴史博物館提供)