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神谷宗幣 (かみやソウヘイ)
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台湾研修 二日目 金門島

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研修二日目は、台湾最西端、中国と目と鼻の先の島、金門島に。

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小豆島くらいの大きさで、人口約6万人です。

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最初に行ったのは馬山観測所。

島の北端にあり、中国側からの侵攻を見張っていた場所です。

本当に目と鼻の先。観測所からはこんな感じに見えます。

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ここには日本人の根本博さんらもこられたんですね。

彼らがいなければ、ここは今中国になっていたはず。

#根本 博(ねもと ひろし)
日本陸軍の軍人で陸軍中将功三級。福島県出身。
1949年蒋介石の要請を受け中華民国台湾へ渡り、金門島における戦いを指揮して、中国人民解放軍を撃破、その後40年に及ぶ蒋介石・国民党政権による独裁体制を確固たるものとし、現在に至る台湾の独立自主に寄与した。

次に行ったのは、金門包丁の工場。

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金門砲戦などで使用された砲弾を利用し、金門島では包丁を作っています。

1990年代に金門島での中台の緊張関係が緩むまでに100万発ほど打ち込まれたそうで、鉄には困らないそうですf^_^;)

ガイドの方が、徴兵で金門島にいたそうですが、怖いのは砲弾ではなく、特殊舞台が暗殺にくることだったそうです。

寝てる間に殺されて、耳を削がれるそうです。耳は暗殺の戦果として持ち帰るとか。

#金門砲戦(きんもんほうせん)
1958年8月23日から10月5日にかけて、中華民国の金門島に対し、中華人民共和国の中国人民解放軍が同島に侵攻すべく砲撃を行ったことにより起きた戦闘である。中華民国では八二三砲戦と称し、中華人民共和国では金門砲戦と称している。また「第2次台湾海峡危機」と称されることもある。

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莒光楼(きょこうろう)というかつての軍事施設。かつては島で一番高い建物であったので、よく砲戦の標的にされたが、共産党の砲弾が全然当たらなかったとかf^_^;)

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金門島には、ダイナマイトで岩をくり抜いて作った地下坑道が数十箇所あります。

その一つに行ってきました。

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半端ない広さでここを戦車が通っていたり、兵士が宿営していたというのですから驚きです。

今でも軍がいくつも使っています。

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ここは港に使われていました。

こんな坑道をつくるアドバイスをしたのが日本人の白団というのですから、日本人恐るべしです。

#白団(ぱいだん)
中華民国総統・蒋介石の要請により台湾の国軍を秘密裏に支援した旧日本軍将校を中心とする軍事顧問団。

1949年から1969年までの間、団長富田直亮(陸軍少将、中国名:白鴻亮)以下83名にのぼる団員が活動した。

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他にも金水国民小学などを見学。

ここは、インドネシア帰りの華僑の提案によって集められた募金で建てられた洋風建築の小学校。
竣工は1932年で、当時は最新設備と最大規模を誇った学校だったようです。
今は金門島出身の華僑の歴史や金門島の洋風建築などを紹介する博物館となっています。

金門島が中国だったころの歴史がわかりました。

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最後は蒋経国記念館に。

今回初めてしりましたが、台湾では蒋介石氏やや李登輝氏より、蒋経国が人気があるとのこと。

その理由は全国行脚をし、国民に寄り添い近代化をしたことのようです。

また一つ勉強になりました。

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