カンボジアへの行き帰りの時間を利用し、先月ある先生に進めて頂いた『文化防衛論』を読みました。
三島由紀夫氏の本は文学作品を主に読んでいて、こうした類の本は難しくて、また、古い議論だと思っていたのであまり読んでいませんでした。
しかし、憲法改正が議論されつつある今日、三島氏の主張は決して古い議論ではなく、今憲法を考えるからこそ読まれるべき作品であり、
三島氏の作品に限らず、こうした知識ベースを国民が共有しないと、国民主権という錦の御旗の下に憲法を国民投票で決めていいのか、とすら感じました。
作品の中の文言を抜き出すと、
人間性と政治秩序との間の妥協こそが民主主義の本質
天皇の権限よりも、天皇というものを一種の文化、国民の文化共同体の中心として据えるような政治形態にすべき
言論の自由が大切ー
我々が文学をやっているということは一人一人がヒトラーであり、一人一人が毛沢東である。
ブルジョア新聞ー朝日新聞など
秩序を守るためならイデオロギーなんかどうでもいいから、秩序を守るものとして現れたものなら誰の手にでもすがりつく
護るべきものー
自分の人間としての誇りを護ることが文化を護ること
文化を護るために死ぬのであり、その文化の象徴が天皇の役割であった
などが印象に残ります。
三島氏の理論でいくと多くの日本人は守るべきものもわからず、自分を失ってしまっていますね。
という私もいろいろ勉強を重ね、
彼の言葉の意味がやっとわかるのです。
現代の大衆に政治家として訴えても、全く響かないテーマでしょうが、
政治家としては腹に落としておくイデオロギーの詰まった本でした。
こうした話が議論でき、またそこから政治を考える場として龍馬プロジェクトをつくったんです。
ですから、龍馬プロジェクトって何って、一言では説明しがたいのです。
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