カンボジア研修視察 (平成25年5月22日~25日)
昨年の硫黄島視察に続いて今年もJCのグローバルトレーニングスクール(GTS)という企画で、研修視察に行ってきました。
*GTSとは、グローバルトレーニングスクールの略で、我々JCメンバーが国際的な支援や交流を通して現地の現実を肌で感じ、グローバルな視点で物事を考え、同じ地球に生きる人間として行動していくことを訓練すること
今回の訪問国はカンボジア。
カンボジアは、人口約1400万人。面積は大体日本の半分。
国民の90%以上がクメール語を話し、仏教を信仰しています。
IMFによると、2011年のカンボジアのGDPは128億ドルで、鳥取県のおよそ2分の1の規模。一人当たりのGDPは851ドルで、世界平均の10%に満たない水準。1日2ドル未満で暮らす貧困層は828万人と推定されており、国民の半数を超えている。
簡単な歴史を紹介します。
1863年、列強のアジア侵攻波でカンボジアはフランスの植民地となり、1887年、カンボジアは、仏領インドシナ連邦という枠組みに組み込まれました。
その後1941年に、日本がフランスと協定を結んでインドシナに進駐。しかし日本は植民地政策をとるのではなく、カンボジアを独立させるのが得策だと考え、1945年、日本はフランスの植民地政権を打倒し、カンボジアのシアヌーク国王は日本の保護監督のもと、独立を宣言します。その後、日本の敗北に伴い植民地支配が復活しますが、シアヌーク国王による独立運動が実り、1953年、完全独立を果たしました。
その後、世界では東西冷戦の時代へと突入していきましたが、カンボジアは中立政策をとって農業開発と工業化を促進。カンボジアは「平和の島」となり、首都プノンペンは、「東洋のパリ」と呼ばれるほど魅力ある都市になっていきました。このように、順調に滑り出したかに見えた独立政権でしたが、東西の圧力が高まる中、徐々に中立政策が立ちいかなくなり、冷戦構造の渦に巻き込まれていきます。
1970年、ロン・ノル将軍によるクーデターが勃発。親米政権が誕生し、クメール共和国が樹立されます。カンボジアはベトナム戦争に巻き込まれ、ベトナムへの物資支援ルートの破壊を目論むアメリカ軍による空爆がクメール全域で行われ、多くの国内難民が発生しました。その後、アメリカがインドシナから撤退し、1975年、カンボジアではポル・ポト率いる共産主義勢力、クメール・ルージュによる共産主義国家「民主カンボジア」が樹立されました。ポル・ポトらは革命組織の名のもとに、旧社会の社会制度、文化、経済、宗教、人間関係を根本からすべて否定し、極端な共産主義社会を建設していきました。都市住民を地方に強制移住させ、政権保持のため、虐殺を繰り広げました。たった3年で、総人口約800万人のうち、拷問、処刑、餓死による犠牲者は200~300万人ともいわれ、その大半が富裕層や知的職業人でした。
その後、民主カンボジアは勢力を弱め、ベトナム指導型の社会主義政権でヘン・サムリンらが率いるカンボジア人民共和国が誕生。一方、それに対抗する勢力として、シアヌーク派などの三派連合政府も同時に樹立されます。両者による激しい内戦が繰り広げられ、国民は両勢力から兵力として動員されたり、地雷の埋設に駆り出されたりしました。
その後、ようやく、1989年、東西冷戦終結。ベトナム軍がカンボジアから完全撤退します。長期の内戦に疲弊した各派閥は和平協定を結び、1991年、パリでカンボジア和平協定が結ばれ、1993年には民主的な選挙により統一政権が確立し、フン・セン首相のもと和平への道を歩みだしました。
1日目
初日は午前7時半集合で、関西空港にて結団式。
近畿一円のJCメンバーが集い、全体で90名の大視察団です。
ハノイ経由でシュムリアップの空港に着き、夜は班に分かれてオリエンテーション。
日本JCメンバー8名、カンボジア人学生3名のチームが出来上がりました。チーム名は「桜~サクラ~」としました。
2日目
二日目は三つの班に別れ、農業、教育、貧困をテーマにそれぞれ研修を行いました。
私は教育をテーマにする班を選びました。
朝からアンコール大学を借りてお二人のレクチャーを。
最初はJICA教育政策ボランティアの中野氏から。
~中野氏のお話の内容~
カンボジアを報道するメディアもあるが、結論ありきのものが多い。みなさんには現場をみて欲しい。
カンボジアの進学率は上がってきて、人気のある学校は、生徒数が5000人を超える過密さ。
国のカリキュラムはまだ充実しておらず、各校長の裁量がでかい。校長の能力で学校のレベルがかわる。
先生の人材育成に力をいれているが、、まだまだ人材不足。
読み書きそろばんは指導できるが、情操教育はなかなか難しい。
25歳以下の人口が半分でこれから伸びる国だが、援助づけで国民の誇りが失われている。
義務教育は小中だが、中学校が足りない。学校は個人の寄付で建つ、自治体が建てるのではない。
二人目はアンコール大学教授の松岡氏。
~松岡氏のお話の内容~
最初にカンボジア人に教育をしてわかったこと。彼らに勉強する習慣がなかった。時間を守らない。
まだまだ社会格差、意識格差があり就学率が低い。
2009年時点の就学率
小学91.9% 卒業率約50%
中学21.1% 卒業率約20%
高校9.3% 卒業率約10%
大学1.4% 卒業率約6%
その他の問題
・貧しくて文具も買えない。
・校舎が十分なく午前、午後の二部制のため、しっかり勉強できない。
・地方では教員の質が低く、保護者も教育に期待していない。
・電気がないので、暑過ぎて集中できない。
・トイレがないので思春期の学生は学校にいくのが辛い。
主にカンボジアの教育の課題をあげ、
独自に開発されたすごろくを使った教育法の説明をして下さいました。
さらに松岡氏は、カンボジア人のメンタル面にも問題があると感じておられました。
そこで、若い学生には妥協しない気持ちが大事、と教え、
国情を理解し、教育をしっかり受け国の未来を考えないと、今後カンボジアが経済的な植民地になると警鐘を鳴らしているとのことでした。
松岡氏の熱のこもったスピーチには感動しました。
アンコール大学を後にし、お昼はフランスのNGOが運営する職業訓練学校が運営するレストランでランチ。
貧困や人身売買の根絶のために10年前に始まったビジネスです。
左の写真は、レストランの前から撮った町並み。このレストランだけが異様にきれいなつくりでした。
午後は孤児院を視察しました。
カンボジアは1400万人ほどいる人口の77%が貧困層。一日2ドルほどの所得です。よって貧しくて子供を養育できない人がたくさんいます。
孤児院がたくさんできてきていますが、その運営も厳しいとのお話でした。
レクチャーの後は勉強部屋で子供たちとかるたを作ったり、お絵描きをしたりしました。
寄付を目当てにした孤児院ビジネスのようなものも初まっているそうで、敢えて子供たちの写真は載せません。
厳しい状況の中でも子供たちは笑顔が素敵で、心が荒んでいないことを感じられたのが救いになりました。
カンボジアもどこへ行っても国王の肖像画。アメリカでは国旗でした。
日本は何を国の象徴とし、統合の要とするのでしょうか?? 教育に問題があるのでは?
ホテルに戻り食事を済ませたら、全体で集まって、一日の活動を振り返るワークショップ。
2日の視察で、印象に残ったことやカンボジアの社会問題などを全体でシェアしました。
交通基盤やインフラの未整備、地域格差、貧困
ゴミ山の近くに住まねばならない環境、教育に対する意識の低さ、教育システムの未整備
などたくさんの学びや気づきを頂きました。
また各班で発表もし、問題の改善のための意見出しもしました。
3日目
今日は朝からバスに乗ってカンボンブロック村へ。途中バスを降りて歩く場面も。
実はこの村はトレンサップ湖の近くにあり、雨季には村全部水没します。
よって全て高床式の家。
到着後は、お寺の講堂で自己紹介をし、
村人たちと親睦を深めるためのレクリエーションで大縄とびなどをしました。
その後は生活様式などを教えてもらうためお宅訪問。この湖周辺にはこうして見学できる村が5つあるそうです。
外から見ると不衛生に見えましたが、中はかなり清潔に保たれていました。
昼はボートに乗ってトレンサップ湖へ。
今はかなり水が少なく、小川からのスタートでした。
映画に出てくる江戸時代の村のようなイメージでした。
川を下ると大きな湖へ。
実はこのトレンサップ湖は乾季でも琵琶湖の三倍の広さ。
雨季にはなんと琵琶湖の十倍になります(O_O)
水上レストランでお茶をして。
お昼は森の中の空中レストランで!
なかなかない経験をさせてもらいました。
午後は再びカンボンブロック村へ。
寺院の講堂をかりて、夜に飛ばすランタン作りを、午前中仲良くなった村人たちと!
カンボジアも女性がよく働きます。
一回おばちゃんに頼んだら最後までやらせてもらえませんでしたf^_^;
カンボンブロック村を後にして夕方からはタニ村へ。
実はこの町は政府主導で作ったエコタウンなんですが、なかなか居住者が増えない。
そこでランタン祭りを立ち上げて観光産業をつくることに。
ランタンをつくり、観光客にうることで収入をつくろうと考えています。
今回はJCもそのお手伝いです。
JCも協力してランタンを販売し、みんなで手分けしてペイント。
日が暮れてくると松明に火がともり、、、
みんなで一斉に。
何百ものランタンが夜空を飾るのは、圧巻でした。
メンバーも大興奮。
一昨日訪問した孤児院の子供たちも招待して、大盛り上がりでした。
これは上手くやれば、観光イベントになりますね。
最後は村のみなさんに食事を振舞って頂き、ダンスなども見せて頂きました。
4日目
朝5時出発でオプションのアンコールワット見学。
ほとんど寝ていなくてしんどかったですが、、、ここまで来ていかない神谷ではありません。
「いつ行くんですか?今でしょ!」と心の中で叫んで参加しました。
最終日は朝9時から、研修で学んだテーマをもとに、各班で考えたソーシャルビジネスのプレゼンテーション準備で、
11時からプレゼンテーション。
私の班は、日本とカンボジアが共同で進める教師養成学校の設立についてまとめ、発表しました。
午後はガーデンパーティーで、各班のプレゼンテーションの表彰式。
我々の班はなんとか三位に入りました。
クロージングでは、参加したカンボジアの学生たちから歌のプレゼント。
言葉の壁を乗り越えて、11人で良いチームになれました。
カンボジアはまだまだこれからの国です。
今回の研修の目的は、カンボジアの現状を知り、その課題を解決するソーシャルビジネスを考えようということでした。
やはり問題の根源は貧困なので、まずビジネスを創ることから始めよう、ということです。
短い期間でしたが、各班の提案したビジネスモデルはかなり面白いものが出来上がっており、
主催運営してくださったスタッフの皆さんの頑張りが形になっていました。
一方で私の個人的視察目的は、カンボジアの教育を見てこよう!というものでした。
これまで東南アジアでは、マレーシア、シンガポール、ベトナムの学校を見てきましたし、
南アジアではスリランカの学校も昨年訪れましたが、
今回のカンボジアのは今まで見たどの国よりも教育環境が厳しかったです。
貧しくて学校にも行けないし、行っても十分な備品がない。
先生の所得は低く、お金を渡さないと十分に指導もしてくれない。
今後、国の発展のためにも教育が必要なのに、その教育すらお金がなくてできないのです。
これまでの視察では、教育の内容や質をみて、日本に取り入れられるところはないか?日本が見失っているものは何か?
を見てきましたが、今回は次元が違いました。
日本が明治維新で近代化を果たせたのは、江戸時代の教育があったからだ!と頭ではわかっていましたが、
今回はそれを肌で感じました。
レクチャーの中で「このままではカンボジアは、外国の経済植民地になるぞ!」と
日本人の先生がカンボジアの生徒に喝をいれていることの意味がわかります。
国を崩していくのはやはり教育ですし、国を育てていくのもやはり教育ですね。
しかもそれは、外部から押し付けられたものではなく、自国民の中から湧きおこるものでなくてはならないのでしょう。
カンボジアは内戦の中の虐殺で知識人が減ってしまったといいます。
そして国民の8割近くが貧困層です。ここから這い上がるのは本当に大変だと感じました。
(日本で教育を受けられることに我々は本当に感謝すべきです。先生ありがとう!という気持ちになりました。)
しかし、もし彼らが我々日本人に協力を要請してくれるなら、お金ではない形で何か力が貸せないかと思います。
おそらくお金を渡すだけでは何も改善しないでしょう。教育といえば人です。
私は日本で先生を目指すような学生が、少しの期間でもカンボジアで教育に携われるような機会を作れないかと考えました。
日本の若者にとっても教育の大切さや、その原点が感じられる機会になると思うのです。
日本の教育水準は確かに高い。先生の質もいい。
それは世界の国を回って実感できます。
しかし、なぜ日本の教育もレベルが下がってくるのか。
最近そのポイントがわかってきました。
日本の中にいてはわからないこと、考えないことを外国視察は与えてくれます。
今回も有意義な研修でした。
今、議員でないこのタイミングを活かして、もっともっと多くの教育現場を見て、外国の国をみて、
自分の経験とし、教育理念や信念を腹に落としたいと思います。
今年もあと何回か海外視察に行きます!!