日本人はおもいやりのある民俗であると思います。
相手の気持ちを慮り、遠慮をしたり、婉曲的な表現をつかったりできます。
そして、思いやりを受けた方も相手の配慮を感じ、それにこたえることもできるのです。
このコミュニケーションは、惻隠の情など武士道精神、茶道や礼法などのつみあげによって文化的につくられてきたものであると私は考えています。
法律やルールでなく、無形のものです。
よって、こうしたことを習得していない人にいくらやってもあまり意味がありません。
「つまらないものですが、、」ともっていって、「つまらないものならもってくるな」という人には通じないことなのです。
むしろ遠慮や配慮に漬け込んで、言葉尻をとらえ無理な要求を通されたりする。
それではただのお人よしです。
こちらの配慮を汲み取れる人に対するコミュニケーションとそうでない人に対するものとは分けて考えていくべきではないでしょうか。
見直しが必要です。
論説委員・石川水穂
教科書歪めた近隣諸国条項
2013.4.21 03:05 産経
■発端はマスコミの誤報
安倍晋三首相が衆院予算委員会で、教科書検定制度の見直しに言及した。下村博文文部科学相も「現状と課題を整理し、見直しを検討する」と述べた。
自民党は昨年暮れの衆院選公約で、検定基準の抜本改善と近隣諸国条項の見直しを掲げた。これを視野に入れた両氏の発言とみられる。
近隣諸国条項は31年前の昭和57年、検定基準に加えられた。
発端は、マスコミの誤報だった。
その年、旧文部省の検定により、日本の中国「侵略」が「進出」に書き換えられたと日本のマスコミが一斉に報じ、中国と韓国がこの報道をもとに日本政府に抗議してきた。だが、そのような書き換えはなかった。
にもかかわらず、当時の宮沢喜一官房長官は「検定基準を改め、近隣諸国との友好・親善に配慮する」との談話を発表し、それに基づいて作成されたのが近隣諸国条項である。
文科省は「検定でこの条項が使われたのは1件だけだ」と説明する。それは次の例だ。
平成3年度の中学教科書検定で、「過去に迷惑をかけた歴史を忘れてはならない」との記述に、「配慮がなされているとは言いがたい」と意見が付いた。「迷惑をかけた」が「耐え難い苦しみをもたらした」という表現に変わった。
■中韓への過度の配慮
検定で近隣諸国条項が使われなくても、それが教科書に与えた影響は計り知れない。
この条項が初めて適用された昭和57年度検定の結果について、58年7月29日付「文部広報」はこう書いている。
「『侵略』という用語は、表記・表現からみて不適切な場合を除き、意見を付さなかった」
「(朝鮮半島での)土地調査事業、神社参拝、日本語使用、創氏改名及び強制連行については、表記・表現からみて不適切な場合を除き、意見を付さなかった」
要するに、「侵略」「強制」といった表記には原則、検定意見を付けないという趣旨だ。
南京事件などの犠牲者数については、出所・出典を示せば、それが不確かであっても、検定をパスした。この結果、中国が主張する「30万」、東京裁判で認定された「20万」といった誇大な犠牲者数が教科書で独り歩きするようになった。
根拠なしに慰安婦の「強制連行」を認めた河野洋平官房長官談話が出された平成5年以降、慰安婦が強制連行されたとする誤った記述が増えた。
その後、自虐教科書からの脱却を目指す「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーらによる教科書が登場した効果で、極端な記述が少しは改められたが、まだ不十分である。
先月末に発表された高校教科書の検定では、「日本軍に連行され、『軍』慰安婦にされる者もいた」という申請図書の記述に検定意見が付かなかった。
「軍慰安婦」という言葉はなく、日本軍に連行された事実もない。近隣諸国条項が中韓両国への配慮を求めるあまり、記述のバランスを取り戻す検定本来の機能を損ねているのだ。
安倍政権は、教科書の記述を歪(ゆが)めてきた近隣諸国条項の見直しを急いでほしい。
■産経以外は弁明か無視
マスコミ各社の誤報の責任の取り方もあいまいなままだ。
57年当時、産経は9月7日付で「読者に深くおわびします」という7段の謝罪記事を掲載し、文部省記者クラブに所属する各社記者が取材を分担し、その結果を持ち寄る慣行が一斉誤報につながった経緯も、詳しく書いた。
朝日は9月19日付「読者と朝日新聞」という社会部長名の囲み記事で、「『侵略』→『進出』今回はなし」「問題は文部省の検定姿勢に」と報じた。
毎日は9月10日付「デスクの目」で、「不十分な点は続報で補充しており、一連の報道には確信を持っている」と書いた。
朝日も毎日も謝罪より弁明に近い記事だった。他の多くのマスコミは誤報に頬かむりした。
先月の検定結果の発表では、次の明白な誤りに検定意見を付けたことも報告された。
「1982年には、教科書検定で『侵略』を『進出』と改めさせようとしたため、中国・韓国から抗議を受けた」
いまだに、「侵略」→「進出」の書き換えがあったと思い込んでいる教科書執筆者がいることに驚かされる。歴史教科書問題で、最も反省しなければならないのはマスコミ自身ではないか。(いしかわ みずほ)
ウソにまみれた「避諱」の国
2013.4.20 産経 元高校校長一止羊大
古来、日本には「清き明き心」を何よりも大切にする伝統がある。日本人のDNAにしっかりと息づ
いた美徳と言ってよいものだ。
地方へ行くと、道ばたに野菜などの無人販売所が無防備に置かれているのをよく見かけるが、お金を払わずに品物だけを盗んでいく人がいるという話はあまり聞いたことがない。この無人販売所の存在は、正直を尊ぶ日本人の「清き明き心」を象徴するものの一つだ。評論家の黄文雄氏(台湾出身)は、日本人の心性を「誠・施・和・公・浄」の5文字で表し、「誠実で、人に施し、平和を好み、公共心に富み、汚いことを嫌う」と称揚している。
国内では当たり前のこの価値観も、残念ながら国外では全く通用しない現実がある。世界には平気でウソをつく国や、他国の物を自国の物だと言って恥じない国があるのだ。
例えば韓国がそうだ。竹島聞題は、戦後、韓国が敗戦国日本の弱い立場につけこんで島を不法に奪い、実効支配を始めたことから生じたものだ。「従軍慰安婦」問題も、日本をおとしめるために作られた真っ赤なウソ話が元になっている。拓殖大学教授の呉善花氏(韓国出身)は、韓国を「虚言と虚飾の国」と形容し、「ウソつき大国」だと断罪している。「どうしてこの民族はこんなに自己中心的なのだろうか」と嘆いてもいる。
中国はさらにひどい。自ら日本領と認めていた尖閣諸島を、70年代に入って突然、自国領だと主張し始めた。まさに尖閣問題は、中国の利己的な欲望と帝国主義的領土拡張志向の産物なのだ。日本の領海に入り込み、島に上陸し、日本の巡視船に船を体当たりさせ、飛行機で領空を侵犯する等の無法行為を重ねている。「中国の島を日本が盗んだ」と口汚く罵り、戦後の国際秩序を日本が破壊しているとまで非難する。反日デモという名の暴動を繰り返し、放火、略奪、暴行、破壊など無法の限りを尽くしたのも記憶に新しい。公海上の海上自衛隊護衛艦などに射撃管制用レーダーを照射したにもかかかわらず、抗議を受けると日本のでっち上げだと嘯く。黄文雄氏は、中国の国民性を「詐・盗・争・私・汚」の5文字で表し、「ウソをつき、盗み、人と争い、個人の利益を追い求め、そのためには汚いことも辞さない」と解説している。
韓国人や中国人が平然とウソをつくのはなぜか。工学博士の林思雲氏(中国出身)などによれば、韓国や中国では、国家や家族にとって都合の悪いことや不名誉なことは隠すのが正義であり、そのためにウソをつくのは倫理的に正しい行為なのだという。韓国人や中国人のこの一般的な心性は、日本では全くなじみのない「避諱」という儒教上の概念でくくられるのだそうだ。いやはや、日本人とは真逆の国民性ではないか。
日本には「清き明き心」に通底する謙虚・謙譲・謙遜といった価値観もあり、それが自虐教育の背景の一つにもなっていると思われるが、この心情も「避諱」の国には全く通じない。他人を悪く言う
ことを慎む日本では、他国の性悪な面を学校で子供たちに教えることを避ける傾向があるが、日本人の美徳は大切にしながらも、世界には日本の価値観が通じない現実があることを正しく教えていく必要がある。
ウソにまみれた国を相手にするには、それなりのしたたかさと覚悟が不可欠なのだ。