昨年お会いした際にはお元気でした。
非常に残念です。謹んでご冥福をお祈りいたします。
国際教養大学の根幹を作られた中嶋氏なき後の大学の方向性に注目です。
私も今、人材育成のシステム創りを考えていますが、その一つのモデルを作られた方でした。
中嶋嶺雄氏が死去、国際教養大学長
2013.2.19 16:52
現代中国学が専門。英語教育導入の取り組みでも知られ、中教審の委員や、第1次安倍内閣の教育再生会議の委員などを務めた。主な著書に「国際関係論」「日本人の教養」など。
国際社会学者で、国際教養大学(秋田市)学長・理事長の中嶋嶺雄(なかじま・みねお)氏が14日、肺炎のため秋田市内の病院で死去した。76歳だった。
葬儀は近親者で済ませた。大学葬は3月17日午後1時、秋田市雄和椿川の国際教養大多目的ホールで行われる。
【追悼】
十数年前「中国の危険性」警告、中嶋嶺雄氏死去 評伝
2013.2.20 00:20
日本の高等教育に革命とも呼べる旋風を起こした国際教養大学をさらに飛躍させようと新たな意欲を示す最中の唐突な旅立ちだった。開学9年目にして秋田所在ながら全国でもトップ級の評価と実績を確立した同大学は、中嶋嶺雄氏の「これまでの日本にない、まったく新しい大学」という構想をみごとに開花させた。
中嶋氏は中国研究の泰斗でもあった。中国の人と風物を愛しながらも政治体制の特異性を冷徹にみる姿勢は、日本の戦後の中国研究者の間では異色だった。
文化大革命の暴走を批判し、尖閣問題でのトウ小平時代の「次世代持ち越し」や「領海法」への日本側の甘さを指摘して、十数年前には「環境問題や軍事力増強で周辺諸国のみならず人類全体に大きな厄災をもたらしうる中国の危険性」さえ警告していた。いまみれば日本の中国認識における救いであり、良心だったといえよう。
中嶋氏は米国でのアジア研究にも詳しく、国際教養大学が平成21年に主催したセミナーでの基調演説では、近年の米国での日本研究者たちの「左傾化」を実名まであげて非難した。こうした鋭い批判の精神を大学運営者としての総合的な管理や指導のなかに埋もれさせない点も中嶋氏の大きさであり、深さだった。
昨年正月、中嶋氏が洋子夫人とともに自宅で開いた外国人留学生招待の集いは中国人が主体とはいえ、内モンゴル、ウイグル、台湾など北京政府が冷たく扱う地域からの学生たちが多数いて、夫妻の懐の深さを印象づけた。
まったくの私事だが、私は中嶋学長から招かれ国際教養大学で客員教授として米中関係などをここ3年、教えてきた。今年度の集中講義を終えたのがこの13日、いつも必ず温かい笑顔で学長室から小走りで迎えてくれる同氏の姿が見えないのが気になった。中嶋氏が「命がけで育てた」という大学に近い地元の病院で旅立ったのは、そのつい翌日だったという。(ワシントン 古森義久)
「台湾の最大の理解者」田久保忠衛杏林大学名誉教授 中嶋嶺雄氏死去、談話
2013.2.20 00:30
「何度も対談したが、何よりも中国問題についての高い見識が印象深い。元台湾総統の李登輝氏とも親しく、台湾について日本での最大の理解者であり続けた。日本と台湾の知識人の交流に尽力し、相互理解に果たした功績は比類ないものだった。数少ない保守系の中国問題専門家にして、最高峰の人。国際的な人材育成に力を入れる国際教養大の学長として、優秀な人材を育てている最中だったので誠に残念だ」
「多軸的思考の持ち主」渡辺利夫拓殖大学総長・学長 中嶋嶺雄氏死去、談話
2013.2.20 00:28
渡辺利夫拓殖大学総長・学長の話「中国の文化大革命当時、ほとんどの言論人が称賛する中、『これは熾烈(しれつ)な権力闘争だ』とパワーポリティクスの見方を教えてくれた。地域研究者であると同時に国際政治学者であるが故の多軸的な思考の持ち主だった。日本には、いまだに中国だけは特別な国だという突き放せない気分がある。徹底的に怜悧(れいり)に分析して対中戦略を立てなければ、対抗できないばかりか共存さえ難しいとよく語りあったのを思い出す」