この度、私、神谷宗幣は「自由民主党」に入党し、
衆議院大阪第十三選挙区(東大阪)より国政に挑戦することが決定しました。
応援してくださった皆様、特に5年と7ヵ月市議会議員としてお世話になった市民の皆様には大変心苦しい思いがあります。
ご存知のように今吹田市議会は、市長の不祥事の問題で紛糾している最中であり、
責任追及の急先鋒を務めておりました私が今このタイミングで市議を辞めることに自分自身、無責任さを感じる部分もあります。
そんな気持ちがありながら、私が今回の決断をした経緯を以下に説明させて頂きます。
私は21歳で世界各国を回り、自分を含めた日本の若者のメンタリティーに危機感を感じました。
帰国後その思いを周囲に伝えるも伝わらず、その悔しさと未来への不安から22歳で政治家を志しました。その後、
父の会社の倒産などもあり7年遠回りをしましたが、29歳で吹田市議に当選させて頂きました。
1期目の選挙の頃の総理大臣は安倍晋三氏であり、戦後レジームからの脱却や教育改革という政策を見て、
日本は変わっていくとの期待を感じたことが市議の立候補の一つのきっかけであり、また海外での気づきもあったので、私も
「若い世代の意識改革や教育改革」を訴えてまいりました。
しかし、安倍総理が体調不良で降板され、教育などの国の政策は大きく変更。国政への期待も薄れました。
また市議会でも当時の市長や議員で意見の合う方も少なく、何も政策が進まないことに無力感を感じていました。
そんな時に橋下徹氏が知事に当選され「大阪の教育を変える!」と政策を掲げられるのを見て、私は「この人とならやれるかもしれない」
と考え、2009年に自ら提案し知事を代表に「大阪の教育維新を市町村からはじめる会(大阪教育維新の会)」を立ち上げました。しかし、
純粋に教育改革に取り組んできた会も、今の井上市長(当時の大阪府議)らのグループに横槍を入れられ、
約1年で知事との関係を切られてしましました。その後、知事の人気など当てにせず、自分たちの活動を続けることに決め、
吹田市でも何とか市政を一新しようと市長選の準備を進める一方、大阪の外に「本気でこの国の政治を変えよう」と考える仲間を求めて
「龍馬プロジェクト」を開始しました。
そして、約3年全国を飛び回り、多くの仲間ができ、我々の想いを受け止める国会議員の先生方ともたくさん出会わせて頂きました。
実は私自身も「日本の政治家は駄目だ」という思いを持って政治の世界に入ったのですが、それは井の中の蛙で、
実際はそれぞれの党に尊敬できる多くの先輩がいることを知り、我々は若い世代の議員を集め地方からうねりを起こし、
考えを同じくする先輩方といずれどこかのタイミングで一緒に政治活動ができるように、
国家観やビジョンを共有できるチームを作ってきたのです。
そうするうちに地元の大阪では「大坂維新の会」なるものができ、当初は大阪府、大阪市、堺市で行政改革をやるといっていたので、
発足の経緯はあまり気にせず好意的に対応していました。しかし、なぜか計画に関係のない吹田市にまで市長候補を送り込んで、
なんと選挙の最中には我々の活動の誹謗までされました。その時の候補者が今の市長ですが、彼の活動や維新の会に入った動機をみれば、
信頼できないのは明らかで、吹田市のためにと考えて「維新の風」に立ち向かい市長選を戦いました。
候補者の素養などをしっかり見ず、マスコミなどの風評で動く民意に失望し、市長選後は政治家を辞めたいとすら思っていました。
しかし、一緒に戦ってくれた吹田の仲間や支援者、「まだ一緒にやろう」といってくれる龍馬プロジェクトの仲間に支えられ、
気持ちを持ち直し活動を続けてきました。
市長選後の1年半は、新しい吹田市長が、ビジョンもなく、裏ではいろいろな動きをしながら、
表面的な改革を訴えて市民や職員の反感をかっているのを感じ、それを改善させられない自分たちに不甲斐なさと悔しさを抱えて活動してきました。
その分といっては語弊がありますが、龍馬プロジェクトの活動に政治のやり甲斐を求め、全国をまわり多くの方のご指導を受け、
ネットワークを広げてきました。「日本にはまだまだ侍がいる。政治を諦めてはいけない。地元でも頑張ろう。」
と思いを絶やさずいられたのは出会った皆さんのおかげです。
そんな中で、自民党に入って政治をやっていこうと思ったきっかけは、
今年の初めに龍馬メンバーの紹介で小泉進次郎氏に出会ったことです。仲間の強い勧めで小泉氏とお会いし話してみると、私より年下ながら、
強い信念と若い世代を束ねて国を変えていこうという強い思いを持っておられました。私はこの出会いに感銘を受け、
同世代のこんな人たちと一緒にやっていければ、将来は私の目指す政治ができるかもしれないと思うようになりました。
さらに、9月の自民党総裁選では、これまで何度も親交を持たせて頂いていた安倍晋三氏が、難しいだろうと言われていた前評判を覆し、
再び自民党総裁になられました。冒頭にも書きましたが、
私が立候補を目指したきっかけでもある政策を訴えておられた方が自民党の総裁になられたことが、自民党入党への決断の大きな理由の一つです。
今しかないと思えたのです。
それでもまだ、超党派の龍馬プロジェクトの会長を務める私が、政党に入ることは躊躇いもありました。しかし、国政の混乱を感じ、
市政でも十分に力の発揮できず、地団駄を踏んでいた私の背中を、強く押してくれたのは龍馬プロジェクトのメンバーです。
彼らの多くが自由民主党の青年部に所属しており、「神谷の想いは国政で実現させろ、
全国をまわってお前の思いを伝えろ。」「いつまでも若くない。できる時にやれ」「維新の会のやり方には我慢ができない。一緒に戦ってくれ。」
という仲間の言葉が、時間がかかっても「いずれは吹田から」と考えていた私の気持ちを動かしました。
今でも吹田市がこんな状況の中、問題を残して国政に行くのは申し訳なく、また無念な思いがあります。議会でも数日前まで、
市長の辞任や不信任決議をせまり、他の議員と交渉しながらその前の100条委員会設置まで漕ぎつけた矢先の今回の挑戦です。しかし、
吹田には私がいなくなっても新選会の3人の仲間がいます。また、これまで私を支えてくれた石川勝氏もおられます。たとえ少し離れても、
彼らと連携していけば、吹田市政の流れは消すことなく続けていけると考えました。
今後確実に国政は荒れます。選挙の結果次第では、政党が離合集散を繰り返していくでしょう。その時期を地方でやり過ごし、
落ち着いてから立候補せよとの声も本当にたくさん頂きました。私のことを思ってのアドバイスと本当に有難く思っております。
しかし、2年前の参議院選挙や昨年の市長選挙では、自分に立候補の声がかかりながらも、
自分は見送り仲間を押し立てて戦った経緯があります。人にリスクをとらせて自分だけ安定した立場にいることに大きな葛藤も抱えてきました。
龍馬プロジェクトで仲間と国のビジョンを語りながら、市議会では反目する市長の下で、
まるであら捜しのような指摘をしている自分に嫌気も差していました。
また、市議会議員の歳費とカンパで無理矢理に全国をまわり、金銭的にも困窮し、肉体的にもかなり無理がたたっていたこともあります。
今のこのスピードで走れるうちに、自分の政治にかける思いや国を思う気持ちを国政の舞台で訴え、
皆さんの役に立つ仕事をしたいという気持ちもあったのです。
以上が私の偽らざる想いです。
今回の13区という選挙区にはこんな事情があります。
大阪13区で自民が“無血開城”
西野氏引退で長男の維新府議が出馬へ
2012.11.21 23:25 産経ニュース
次期衆院選に出馬せず、引退する自民党前衆院議員の西野陽氏(72)=大阪13区=の後援会会合が21日、
大阪府東大阪市内で開かれ、西野氏が正式に引退を表明した。会合には後継と目される長男で大阪維新の会府議、弘一氏(43)も同席、
支持者に「世襲」への理解を求めた格好だ。だが弘一氏は日本維新の会から出馬意向で、塩川正十郎元財務相の地盤でもあった13区の
「無血開城」に自民は猛反発。塩川、西野両氏間で繰り広げた「政争」再燃の可能性も出てきた。
非公開で行われた会合。出席者した男性は「老いては子に従えということや。俺たちは自民党ではなく、“西野党”。共産党から出ようが、
応援する」と、弘一氏への支援を口にした。
日本維新の会はこれまで、13区については「親子戦争」を避けるため、候補擁立を見送っていた。この日、
東大阪市内の街頭演説で維新代表代行の橋下徹大阪市長は候補者には触れず、「3年前に愛想をつかした自民党にまた戻るのか」
と自民批判を展開しただけだった。
維新幹部は西野氏の引退表明を受け「遠慮する必要はなくなる」としており、今後、弘一氏を公認する方向で調整するとみられる。
だが、怒りが収まらないのは、すでに西野氏を公認していた自民党側だ。「引退は寝耳に水。こちらの候補者擁立と、
準備を遅らせる卑劣なやり方だ」(大阪府連幹部)
突如「空白区」になったのを受け、自民は急遽独自候補擁立に向けた検討も始めたが、公示日は2週間以内に迫っている。
現在公募中の他選挙区の応募者から選ぶことも検討せざるを得ないが、「不戦敗は避けるべきだ」という主戦論は高まっている。
その背景には、13区(東大阪市)特有の選挙区事情がある。13区はもともと塩川正十郎元財務相の地盤で、かつて自民を離れ、
新進党などにいた西野氏と議席を争ったことがある。塩川氏の引退後、自民に復党した西野氏が選挙区を引き継いだが、
かつて塩川氏を支えた地元の自民系市議には、複数の政党を渡り歩き、自民に戻った西野氏に対するわだかまりが今も消えてはいない。
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今回の件は自民党に所属する龍馬プロジェクトの仲間も本当に悔しがっていました。
戦う「大義」があれば、仲間と協力し戦いたいと思います。
愛着ある吹田を離れ、本当に厳しい戦いではありますが、いずれ必ずお世話になった皆さんのお役にも立てるよう励んで参ります。
かくすれば、かくなるものと知りながら、
やむにやまれぬ大和魂