日々の活動やニュースに対する考え、視察の報告などをブログにまとめています。

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神谷宗幣 (かみやソウヘイ)
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千里ニュータウン

ブログ |

本日、南千里駅前に千里ニュータウンプラザがオープンします。

駅前の超一等地です。

私たちは、市民の皆さんの声を聞いてあそこに駅前保育所やスピード診療所を作りたいと考えていましたが、かなわず様々な施設の入る複合施設になりました。

下の記事には、
おしゃれスポットと書いてありますが、先日の議会で市長に町のビジョンを聞いてもそんな構想は出てきませんでした。

エキスポ跡地、千里山、南吹田、操車場跡地、などもニュータウンと同時に再開発です。

大きな町のグランドデザインなしに、開発すると町の中で機能がぶつかりそうな気もします。

千里ニュータウン再生 課題は世代間の“絆

2012.9.11 15:32 産経ニュース

 まち開きから50年を迎えた千里ニュータウン(大阪府吹田市、豊中市)は、全国初の大規模ニュータウンとして、住民の高齢化や公営住宅の老朽化といったニュータウン特有の問題にも真っ先に直面してきた。まち開きから半世紀を経て、住民年齢層の二極化やニュータウン内の商業施設の見直しといった新たな課題も生まれており、新たなまちのビジョンも求められている。
 千里ニュータウンでは、古くからニュータウンに住む人たちの高齢化が進む一方、新たに分譲マンションの建設などが進んでいる。吹田市千里再生室は「民間の賃貸物件も増え、新たに子育て世代が転居するケースが目立つ」と話す。
 ただ、住民の年齢層は古くから暮らす「70~80代」と転居組の「30~40代」に集中する二極化現象が発生。住民有志でつくる「千里ニュータウンまちびらき50年事業実行委員会」の奥居武さん(53)は「世代間の分断を防ぎ、縦のつながりをつくることが目下の課題」と打ち明ける。15日から始まる記念イベントでは、ライトアップ行事などを計画。実行委の一人は「イベントを通じて住民らに『ここがふるさとだ』という意識を持ってもらいたい」とする。
ハード面に課題も
 ハード面の課題もある。ニュータウンのなかで地区ごとに設けられた商業施設「近隣センター」は当初は、生活の要として利用されていたが、郊外型ショッピングセンターの進出に伴い顧客を奪われ、利用頻度が低下。店舗の経営者の高齢化も進む。
 新たなまちづくりを進めるためにどうすればよいのか。吹田市ではニュータウンの南端の市道や周辺の駐車場を活用し、有名飲食店や衣料店などを集中的に誘致した、新たな集客スポットをつくろうという構想も浮上しているという。
 関係者によると、構想の背景には、千里ニュータウンの開発を通じた反省もあるという。ニュータウンは区画ごとに学校や病院、商業施設が効率よく配置された計画都市ではあったが、「アクセントになる場所がなかった」というのだ。
 吹田市が目指すのは、ニュータウン外からの集客も期待できる“おしゃれスポット”。象徴的な商業施設をつくることで、現存する近隣センターへの波及効果も期待されるという。担当者は「やるからには北摂一の洗練されたスポットを目指し、ニュータウン再生の起爆剤にしたい」と話している。

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千里ニュータウン「50歳」盛大に祝う 2カ月かけ記念イベント 大阪

2012.9.8 11:27 産経ニュース

 全国初の大規模ニュータウンとして誕生した千里ニュータウン(大阪府吹田市、同豊中市)が今年でまちびらきから50年を迎えることに合わせ、住民らでつくるまちびらき50年事業実行委員会は7日、吹田市津雲台の千里ニュータウン情報館で記者会見。ウオーキングやライトアップなど、15日から約2カ月間にわたって開催する記念イベントの概要を説明した。
 千里ニュータウンは昭和37年に入居開始。昭和50年代には約13万人に達したが、現在では9万人前後を推移している。高度成長期の人口増加を支える一方、近年では急速に進む高齢化や建物の老朽化などの課題に直面している。
 15日のオープニングイベントでは、住民たちの証言とともに千里ニュータウンの歴史を振り返る。期間中はニュータウン内のウオーキングや展示会、キャンドル約9万個を使ったライトアップイベントなどが企画されている。

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まち開きから半世紀…人口減、高齢化歯止めへ 千里ニュータウン再生着々

2012.9.11 15:17 産経ニュース

 全国初の大規模ニュータウンとして開発された千里ニュータウン(大阪府吹田市、豊中市)が今年、まち開きから50年を迎えた。住民の高齢化や建物の老朽化、人口減少などニュータウン特有の課題が生じていたが、平成23年の人口は増加に転じ9万266人となった。新たな分譲マンションの建設などに伴って子育て世代の流入が進んでいることなどが要因とみられる。街の様相も変わりつつあり、同様の課題に悩む各地のニュータウンのヒントにもなりそうだ。
 千里ニュータウンは大阪府が開発し、昭和37年9月から入居が始まった。面積は、吹田と豊中の両市北部の約1160ヘクタール。各地のニュータウンの先駆けとして開発されたため、入居者の高齢化や建物の老朽化といったニュータウンが抱える大きな課題に真っ先に直面した。
 平成16年ごろからは公営住宅の建て替えが本格化。建て替えの際に建物を高層化し、余剰地を民間デベロッパーに売却する手法がとられた。その結果、分譲マンションなどが相次いで建設され、子育て世代が移り住むようになったという。
 千里ニュータウンの人口推移をみると、昭和37年のまち開きから右肩上がりに増加。ピーク時の50年には約13万人まで増えたが、その後はおおむね減少傾向にあった。しかし、平成23年の人口は前年比で千人近く増え、9万266人と増加に転じている。
 吹田、豊中の両市などによると、65歳以上の高齢化率は10年前の14年には22・4%だったものの、22年には30・2%と3割を突破するなど、急速に高齢化が進行していた。だが、23年は30・0%とわずかに減少しており、高齢化に歯止めがかかる傾向もみられている。

ニュータウン
 高度成長期に都市部への人口集中で生じた住宅不足の解消を目的に全国各地でつくられた大規模住宅都市。日常生活圏の近隣住区ごとに商業施設や学校、診療所などが計画的に配置され、当時は「ニュータウンで家を持つのがサラリーマンの夢」などとも言われた。東京では多摩ニュータウン、大阪では泉北ニュータウンなども有名。千里ニ

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