広島キャラバン・愛媛視察 文責:福良碧(10期生)・平充宏(立志政経舎)
9月3日~5日に、広島、愛媛への視察も兼ねたキャラバンに同行させていただきましたので、
その様子とそこから感じたことをご報告します。
9月3日
◆旧海軍兵学校視察
広島県の江田島にある、海上自衛隊第1術科学校・幹部候補生学校を訪れました。
現在はこのように名前を変えていますが、戦前は有名な海軍兵学校でした。
当時はアメリカのアナポリス、イギリスのダートマスとともに世界三大兵学校の一つとして
名を連ねていたそうです。
「日本海軍の聖地」と呼ばれ、米軍も敬意を表してあえて爆撃を行わなかった場所。
そのため明治、大正、昭和初期の古い建造物が当時のまま残存しています。
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(左から幹部候補生学校庁舎、大講堂)
担当の方に見学案内をしていただきました。洗練された構内の様子からも、
自衛隊の毅然とした精神が伝わってくるようでした。
見学の最後に入場した教育参考館では、保存している1万6000点の資料のうちの一部が
展示してありました。
この施設は、先人の偉業をたたえるとともに、戦争に散った兵士たちの思いを継承する
神聖な場所ですので、館内は撮影禁止でした。
東郷平八郎や山本五十六など、偉大な軍人にまつわる資料が展示されている中、
私の目を引いたのは特攻隊員達の遺書でした。死ぬとわかっていてそれでも、
手紙には家族を案じる言葉と、日本を誇る気持ち、天皇への忠誠が貫かれていました。
中には「遺言なし」とだけ書かれた遺書も。
やりきれない思いも残したい言葉もたくさんあっただろうと思います。
しかし文面からは「国のため、愛する者のために最後まで戦う」という彼らの強い意志が
ありありと浮かび上がってくるようで、私は胸が打たれました。
私たちと同じ年頃の若者が、自分の国を守るために戦場に出向いていった。
今までにも知っていたはずの事実が、遺書の数々を前にして初めて胸に迫ってきました。
私たちは、普段豊かで平穏な生活をあまりに当たり前に感じすぎて、
彼らがどんな思いで戦場に向かったかということに思いをはせることはありません。
しかし当時の若者たちの決死の戦いがあったからこそ、
今平和を享受できているのだと感じます。
今の若者たちに、「日本のため」という気持ちがあるでしょうか。
先人が必死の思いで守ろうとしたこの国を、私たちの世代が廃れさせてしまってはいけない、
そう思いました。
◆広島キャラバン
神谷議員は龍馬プロジェクトの会長であり、日本をもっとよくしようという熱意と志を
持った仲間を集めるために全国を飛び回っていらっしゃいます。
ご自身で足を運び、神谷議員が政治家になった経緯から、今の日本への危機感、
日本をどう変えたいかというビジョンまでを伝え、思いをぶつけて、賛同した人を
メンバーとして迎える。これがキャラバンであり、神谷議員の仲間集めのスタイルです。
私も今までメンバーの方々とお会いする機会が何度かありましたが、
ぶれない芯を持った意識の高い方々ばかりで圧倒されます。
自分で会って、確かめて、思いを共有して、共に同じ目標を目指す。
そんな人とのつながりを大切にされている神谷議員だからこそ、
このような素晴らしい方々が集まるのだと思います。
文責:福良碧(神谷インターン10期生)
9月4日
愛媛県四国中央市にある志の道を歩き、その後元国会議員の小野晋也氏にて、
どう生きるべきかについての講義を受けました。
◆志の道
志の道には12個の石碑があります。これらの中心となる石碑には以下の言葉が書かれています。
「自分の花を咲かせよう」
この言葉は故坂村真民氏によるものです。自分の花は自分で咲かすものであり、
自分の持てるものを生かして生きていけばいい、一人一人に普遍の価値がある花を自分がもっていて
その花を自分で咲かせればいい、ということでした。
自分にある花をどうして他人に依存していいことがあるでしょうか。
他人を真似した生き方で良いのでしょうか。
自分の花は自分で咲かすもの。当たり前なことと思えますが、実行することは難しい。
花を咲かせるまでのプロセスにはただならぬ苦労もあると思います。
ただそのような壁突き破るくらいの志やメンタルを有することなしに花は咲かせないと思います。
どれだけ花を咲かせることに本気になれるか、このことを意識すべきかと思います。
石碑はこの他11個あり、それぞれ心に訴える言葉が掲げられています。
一度実際に心の道を歩くのはどうでしょうか。
◆小野先生との勉強会
小野先生には、志を立てて生きることに加えて、人間として「本物」であるための
3つの要素を教えていただきました。
一つ目は「なりきれる」
表裏のないただ一つの存在として自分を整えて、自ら火を燃やすこと
二つ目は「やりきれる」
ゆらぐことのない信念を持ち、正しい理念とビジョンに基づいて成功するまでやめないこと
三つ目は「すてきれる」
自分の利益ばかりを考えないこと、余計なものや感情をなくすこと
シンプルながら奥の深いお言葉です。私は、確たる志を持ってより良く生きること、
そして自分も周りも幸福になるような生き方をすることなのだと解釈しました。
自分が生きている意味とはなんなのかという問いは、おそらく誰もが一生をかけて
悩み苦しむ疑問です。
しかし小野先生がおっしゃったように、人間は誰でも生きる意味を持って
この世に生を受けたのだ、ということを信じれば、人は希望を持って前に進むことが
できるのだろうと思います。
「生きる」ということに対して、このように本質を突いたストレートなお言葉の数々を
お聞きできて感激しました。と同時に、日本には惰性で日々を過ごす人が多いことを
残念に思いました。
人生に自分なりの哲学を持って生きることの大切さを学んだように思います。
9月5日
◆福岡自然公園での研修
5日は、愛媛県伊予市にある福岡自然農園にて、米の収穫のお手伝いと、野菜畑やミカン畑、
更には初代農園代表の故福岡正信氏の考え等に触れる、という貴重な体験をさせていただきました。
できるだけ自然に任せた農業を、ということをテーマに掲げた方法を実際に目の前にすると、
確かに効率の面では農薬等を使った方法よりも劣りますが、安全性では勝りますし、
何より自然の素晴らしさが身に染みました。
「自然にいてこそ人間は人間らしくなる。都会こそ不自然なものはない」。
帰り際に2代目代表の福岡雅人氏がこうおっしゃいました。
大阪に限らず都会には緑が少ないというイメージが非常に強く、公園等の緑の場は
あっても自然そのままであるものはほとんどありません。
ただデスクワークをするだけが人間らしい生き方でしょうか。
人間は経済活動するにしろ、政治活動するにしろ、食べることなくして生きていくことは
不可能です。また人間の原点は自然に生えていた穀物や野菜等を食べて生きていることにある。
だからこそ、野菜や米も輸入すればよいといった安易な考え方は不自然な印象しか受けません。
農業あってこそ市民の生活は成り立っています。なぜ人間生活をする上での根幹を
外国に委ねようと考えることができるのでしょうか。
日本の自然にて採れたものを感謝していただく、この姿勢を忘れることが
あってはならず、忘れかけたときには、農業の現場に行かれてはどうでしょうか。