3日間の東北ボランティアに参加して 文責:田和・松崎(神谷インターン10期生)
はじめに
私たちは8月15日から17日の3日間、南三陸町にてボランティアに参加しました。
この3日間で行った活動と感じたことなどを、この場をお借りして紹介したいと思います。
1日目
私たちは前日の夜、梅田から夜行バスで仙台へと向かい、バス、タクシーを乗り継いで
お昼過ぎ頃に南三陸町に到着しました。道中のタクシーでは、運転手さんに、震災当時なにを
されていたのかということや、震災直後は多くの乗客を乗せ、様々な体験談などを聞かれたということで、
それらについてもお話していただきました。
到着後は現地のボランティアスタッフの方に南三陸町を案内していただきました。
テレビなどでは復興は進んでいるという報道を見ることもありますが、津波に流され、残った家屋の基礎、
鉄骨と外壁のみが残った建物、破壊され修理されず残ったままの鉄道の線路、高架、橋桁、
積み上げられたままの震災瓦礫などが無残にも残ったままで、これが震災以前の姿に戻るまで
あと何年かかるのだろう、と感じました。
その後は、私たちがお世話になるボランティア団体であるユナイテッドアースさんがお借りしている、
ボランティア期間中の活動拠点となる、地域の方からお借りされている民家へ向かいました。
その後は、今度、南三陸町で行われるイベントのビラ配りを行いました。ビラ配りでは、地域の方々を
何度か喋る機会があったのですが、思っていたよりも元気に振る舞われている方が多いように感じました。
そして、また拠点へと戻り他のボランティア参加者への挨拶、自己紹介などを行い、交流を深めました。
このボランティアには男女問わず、私と同じように大学生の方もいれば、サラリーマン、主婦の方など、
様々な方々が参加されていました。そのような方々おられるからこそ、それぞれの目線から被災地において、
何が必要なのか、本当に求められているのは何なのか、を見つけることが出来、
細かい部分での復興も進むのではないかと思いました。
2日目
二日目は、水産加工会社であるマルアラさんでお仕事を手伝わせていただきました。
お手伝いさせていただいた仕事内容としては、ホタテ貝のサイズ計測とサイズ分け、モズクに異物が
混入していないかどうかの確認、商品のラベル貼り、箱詰めされたホタテ貝の運搬、
貝ヒモの分別など多岐にわたり、昼休みの1時間を除いて休むことなく行いました。
作業を通じて私が感じたのは、働いている方々は本当に活気に満ちておられて前進し続けておられるのだ
ということと、私たちが作業をしている間も、頻繁に社内アナウンスで注文が入っており、風評被害だ何だと
言われていますが、私たちの見えないところで徐々に復興が進んでいるのだと感じました。
また、従業員の中には中国人の方もおられ、外国の方も復興に貢献してくれているのだと思うと、
心にしみるものがありました。
その後は拠点へと戻り夕食などを済ませ、翌日帰るということで、
ボランティア参加者の皆さんにお別れの挨拶をしました。
この挨拶では今回のボランティア活動を振り返り、何を体験したのか、
何を感じたのかを述べました。私が述べさせていただいた内容としては、まず
一つ目に、前述したとおり、水産加工会社で、見えないところでも復興は進んでいるのだと感じたこと、
二つ目に、ユナイテッドアースさんで、長期で参加されている方々の姿勢は本当に見習いたい点が
多いということを述べさせていただきました。
どの点を見習いたいのかというと、ボランティアというものは当然、給料も発生しませんし、
復興が完了すれば、ボランティアは必要なくなってしまう、つまり、将来どうなるのか
分からないにも関わらず東北を復興させたいという一心のみで活動されているという点です。
私はそれまで人助けをする際は、まず自分の生活が第一だと考えていましたが、
その点に対する考え方も変化し、また、今後、自分が行動することが、何のためになるのか、
誰のためになるのか、ということを考えていきたいと思いました。
3日目
三日目に行った活動は、書類をスキャナーで読み取る、などのパソコンを使った事務作業がメインでした。
しかし、その後は大阪に帰らなければならなかったので、他のボランティア参加者の方々と
もう一度交流を深め、facebookなどで繋がりを作ったので、今後も繋がりを続けていきたいと思います。
その後はスタッフの方に帰路の途中まで送ってもらいました。途中、タクシーに乗り換えるために立ち寄った、
海沿いに立つホテルから見た風景からは、よく聞くような言葉ではありますが、
震災当時のような風景は全く想像ができませんでした。
そしてその後、再びタクシーとバスを乗り継いで仙台に到着しました。
仙台では夜行バスの出発まで時間に余裕があったので、伊達正宗の居城であった青葉城跡へ見学へ向かいました。
しかし、青葉城の石垣の一部や、銅像の一部は崩れたままで、仙台市内を見たところでは、震災からはすでに
立ち直っているように見えましたが、やはり、震災の傷跡は残っているのだなと思いました。
また、その後、余談ではありますが、せっかく仙台に来たということで、名物である牛タンを堪能させていただきました。
おわりに
今回のボランティアを通じて私は、震災に関する議論、例えば震災瓦礫の広域処理をすべきか否か、といった
ようなことをする前に、まず、自分の目で現場を見なければならないと改めて思いました。
また、個人的な感想なのですが、正直なところ、2泊3日では、大阪から東北までの移動時間に
時間を取られてしまい、満足いくまで活動ができず、十分に被災地の状況を見ることが出来なかったので、
次回はもっと長く滞在し、被災地の様々な面を見たいと思います。
文責:田和良真(神谷インターン10期生)
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8月15日から17日に参加した、南三陸町でのボランティア活動について報告させていただきます。
南三陸町には産業廃棄物(いわゆるがれき)の処理場がなく、広域処理の対象外であるため、
多くの瓦礫が当時のまま残っています。道路がやっと舗装され、電柱や信号が建った、という程度で、
最初南三陸町を見た時は、ほとんど復興が進んでいないな、という印象を受けました。
しかし、3日間地元のニーズに合わせた様々な活動を通して現地の方とお話する中で、
現地の方は前向きで、頑張って生きていこうとしてはることを感じました。
ユナイテッドアースというボランティア団体の活動に2泊3日で参加させていただきました。
1軒家で50人ほどが共同生活をしながらボランティア活動をしています。
一日目はコンサートのビラ配りをしました。地元のドームで行われる合唱団の歌のコンサートで、
世界的に有名な指揮者も出演するそうです。嬉しそうにビラを受けとって下さる地元の皆様と、
人々を楽しませようと頑張られたコンサートを主催された方の心の温かさを感じました。
二日目は、水産加工会社での仕事のお手伝いをしました。ホタテ貝の大きさ別の仕分け、
もずくの検品、ホタテのひもを取る作業をしました。
従業員の方からは、震災時の事や、今の仕事を続けている理由など様々なことをお聞きしました。
失業保険などに頼らず、自ら生きていこうとされていることに感動しました。
三日目は、畑の雑草抜きをしました。地元の方のご厚意で貸してくださっている畑に大根を
植えるために、雑草を抜いて土を耕しました。
三日間過ごして感じたことが三点あります。
一点目に、ボランティアといっても様々なことがある、ということです。
参加する前までは、がれきや倒木の撤去といったインフラ整備がボランティアだと思っていました。
しかし、ビラ配りや魚介類の選別作業、農作業やお祭りの手伝いも、地域の人の手助けや
心の支えとなり、立派なボランティアであることを知りました。
二点目に、この美しい東北は守るべきなのだということです。
南三陸町は山や空がとても美しく、水も海も綺麗です。水が綺麗であるため農作物もおいしいし、
魚介類はとても新鮮なものをいただくことができます。これは、被害を受けたほかの地域にも
共通することだと思います。これまでずっと、汚染された福島や、がれきであふれた岩手や宮城を
復興するより現地の人を受け入れるべきだと考えていました。しかし、各々の地域には誇れる自然の
美しさとおいしい食べ物があり、それは全力で守っていくべきであると感じました。
三点目に、人との出会いの大切さ、貴重さです。ユナイテッドアースの方々と共同生活を送り、
楽しい話や真剣な話をたくさんしました。自分の故郷でない宮城県のためにこんなに一生懸命に
なれる方々と出会えたことで、人のために生きる喜びを再認識したり、より人のために生きたいと
思うようになりました。
三日間という短い期間でしたが、様々なことに気付く良い機会となりました。
今回気付いたことを、これからの生活に生かしていきたいです。
文責:松崎千夏(神谷インターン10期生)