今日は夜から京都で林塾に参加です。
今日はビデオで東洋思想や哲学を学んでいます。
大学や中庸、孟子や老子、韓非子、孫子などの入口の部分をダイジェストで学びます。
もう四年間何度も聞いている話ですが聞くたびに感じるところがあります。
性善説や性悪説の話では、
大津のいじめを連想し、日本でも性悪説に流れていくのかなあと感じました。
徳治主義ー礼治主義ー法治主義
の話では、日本は法治主義のレベルまで低下したなと感じました。
法律で罰せられないことはやってもいい?そんな話が増えました。
それどころか、嘘をついてでも貰えるものはもらわなければ損だという人も増えました。
昨年の震災の際には、
東北にはまだまだ礼治主義が行きているなあ、と感じたわけですが、日本全体の平均レベルはどの程度でしょう。
人権やルールは教えても、
「徳」を語る人がいなくなったのではないでしょうか?
この考えを考えた古代中国人はもう中国にはいません。
語りついで行かねば思想は途絶えます。
韓非子のいうように、
私も世の中は、
2-6-2 か 1-8-1だと思います。
林先生もおっしゃっていましたが、
我々政治家は高い理想をもちつつ、
中間層に語りかけねば、選挙に勝てない。
しかし、迎合しても良い政治はできないのです。
私は、中間層に語りかける時にも、
やはり理想は語らねばならないと思っています。
しかし、一人で語っていても孔子のように弟子にしか伝わらないのでは意味がない。
ですから、理想を持った仲間と共に語り、中間層の意識改革を促したいと考えています。
時間はかかりますが、それをやらねば日本の復活はないと思いますし、
私は日本人の中に眠る良心や情熱を信じています。
信じたいと思っています。
諸子百家の教えを学べば、上手く人を出し抜く術もわかります。
しかし、それはわかっていてもよほどのことがない限り使わない。
(外交などでは使ってもらわねば困りますが、、、)
今日のような勉強をするのは、
刀をもつようなものです。
普段は使わないが、いざという時に抜けるようにしておくのです。
それぞれの教えをもっとしっかり学びたいです。
先人は皆漢文などでこうした思想を学んでいたんですから。
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