視察二日目。
今日は朝の九時から河北新報の矢野記者にお越し頂き、
震災後の自治体議員の取り組みの取材を踏まえた講義をして頂きました。
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関西などに行くと、震災から一年がたち既に震災に一区切りついたような雰囲気がある。
しかし、昨日警戒区域を見て頂きお分かりと思うが、実はまだ何も始まっていない。
昨年の震災時、東北でも多くの議会が予算審議中であった。
議場や資料がなくなったところでは、どうやって予算を通すかが問題となった。
首長の専決とするか、青空議会を開くかの議論があった。
混乱時でも自治は滅びないというメッセージにもなるので、議会を開く方がよいとの意見が多かった。
今東北の多くの自治体が復興計画を作っている。
復興計画には、法的策定根拠がないので議会がどう関わるかが問題となった。
実際は識者や職員が計画をつくるが、いくつかの議会は議員を関わらせようと議会の議決事件とした。
ここで問題になるのは、それぞれに議会が復興に責任をもつという気概があったかどうか。
事前に復興計画のようなものは、議会が責任をもって決めると条例で定めた議会もあり、参考にすべきでは。
また、住民が地元を離れて避難生活をしているところがある。
避難所まで意見交換会をしに行く議会があった。こうした動きは住民を繋ぎ止めると感じる。
いろいろ見ているとこうした動きができるのは、平時にしっかりやっていたところ。
平時にだらしない議会は、
非常にあまり機能しなかったと感じる。
河北新報で、東北再生委員会を立ち上げ、自立的復興に提言をした。
今回の震災に対して一番頼りになったのは、国ではなく基礎自治体。
関西広域連合の支援などは大変機能した。
平時からの自治体交流や、制度化された自治体支援のカウンターパート作りが非常に大切である。
震災復興は中央集権では上手くいかない。国からは財政支援に留めてもらい、詳細は地方に任せないと、地方に金太郎飴のような街ができるだけだ。
自助の気持ちをもてる仕組みが大切。
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質疑応答。
だらしがない議会とは?
市長や理事者にぶらさがり、議会では賛成ありきでパフォーマンスとしての質疑しかしていないような議会。
震災後の自治体をしっかり取材された上での意見は大変勉強になりました。
正直、震災への対応について、私自身の気構えのなさを反省しました。
記事をつくるための取材ではなく、
社会の問題をとらえ、あるべき形を提言する気概をもった取材をしておられるのをヒシヒシ感じました。
地方にはこうした記者がおられます。
都会には、、、
ニュースが多すぎるのかもしれませんね。
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